「Kindle」タグアーカイブ

YARD-O-LED pencilが好き

ちょっと筆記具について書いちゃおう。
僕は、手書きメモも大好きで、愚作の中でも色々書いている。色鉛筆を多用するんだけど、今回はアンティークな回して芯を繰り出す、元祖シャーペンのYARD-O-LEDの話を書こうかな。

YARD-O-LEDは1882年から続くイギリスの老舗

ポメラからの投稿なので、写真無しで恐縮なんだけど、YARD-O-LEDは銀細工の繰り出し鉛筆をサンプソン・モーガンさんが発明して、1934年にYARD-O-LEDという会社になったんだって。
YARDというのは、いわゆる長さのヤードのことで、1ヤードの鉛筆の芯を12本に切り分けて、それが全部ペン軸に収納できて、もちろん、繰り出しシャーペンの機構も入っている。
ペン軸は、普通のノック式ボールペンと同じくらいで14mm、細身なんだ。こんな細いペン軸に機械式の繰り出し機構と12本の1mmくらいの芯が入っちゃっているんだから、凄い職人芸。

イギリス人の銀製品に込める思いは尋常じゃない

ペン軸は925のスターリングシルバー。しかも、925だと保証する英国の保証刻印が」刻まれている。
このペン軸は、もちろん手作りで綺麗な模様がある。いろいろな模様があるんだけど、僕のはターレット模様だ。模様以外の部分は鏡面仕上げされていて、もちろん手で研磨している。

さて、イギリス人の銀製品に対する思い入れというのは、貴族の銀食器に遡る。カズオ・イシグロの作品「日の名残」の中では、貴族の名家が、どれだけ銀製品を綺麗に磨けているかというのが、その家の品格を表すと言われていたらしい。銀の磨き方も、その家の秘伝となっていて、最盛期には吟味が気の手法の本まで数多く出版されていたという。

僕は、このペンをはじめて本を出版した時の記念として購入したんだけど、今から24年前かな。当時は4万円ちょっとだったと思う。5万円は超えてなかったと思うなぁ。 現在の価格を調べると、アマゾンでは全く同じ物が23万円。でも、ちょっと胡散臭いので、この価格はどうだろう、プレミア価格かなぁ。 専門店では、同タイプのものが9万円弱。全く同じ物は作られていないようなので、上記のアマゾンはプレミア価格だとすれば、そうかもしれない。

いずれにせよ、値上がりしているというのは、所有者としては誇らしい。

非常にタフなペンシルだ

24年近く使っているのだが、まったくくたびれていない。一度、コンクリートの上に落としたことがあるのだが、ペン先がちょっと傷になった程度で、まったく問題がない。 925スターリングシルバーは、純銀が92.5%含まれていて、強度を増すために合金になっている。
指輪も、いいものは925で、変形しにくく傷にも強いのが特徴だ。プラチナもいいのだが、傷が付きやすいので、個人的には925が好き。 本体に芯が入っていることなど忘れきっていたんだけど、これを書くのに調べていたら、芯が内蔵だと、ああ、そうだった、と思い出した。 中を見てみると、まだ8本入っていた。
このペンで長文を書くことはなかったので、芯の消費が少なかったのね。
収納されている芯は、とりあえず1本は簡単に出てきたけど、他のは固着しているのかなぁ、出てこないなぁ。分解すればいいかもね。

なんて、物欲を捨てているんだけど、かつて買った文具、大切に使わせてもらいます。
これも必携の物書きツールです。

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ヨガ番組を見ながら不倫小説

ヨガ番組を見ながら不倫小説を書いているんだ。
海外制作の「ヒーリングヨガ・ナマステ」を観ながら、いろいろ考えるんだ。もともとヨガは、西暦500年くらいにインドで仏教に取り入れられて、古代インド哲学との融合が図られる。 つまり、単なる健康体操から、哲学的な要素が加わったんだ。

ヨガはもともと涅槃への道

そもそも「ヨガ」とは、悟りのための方法全般を指す。現在の体操ヨガはアーサナ(瞑想のための作法・体位)のことで、字が読めなかった庶民が瞑想を経て涅槃へ行くための体操だった。それが現在はヨガという略称で呼ばれているんだ。
もうちょっと書くと、ヨーガというのが正しい発音(に近く)で、お経を一心に読むこともヨーガ、勉強を一心に行うのもヨーガ、スポーツを(勝ち負けに関係なく)一心にやるのもヨーガだと、古代インドの聖典に書かれている(ウパニシャッド、ギータなど)。
現代のヨガにも、お釈迦様のポーズがたくさん出てくる。これは健康体操が仏教徒融合した結果なんだ。要するに、仏教でお坊さんがいろいろなお経を読むけど、ヨガのポーズも、それぞれお経と同じ効果があるとされている。つまり、宗教的な戒律に縛られることなく、普段の生活の中で仏教の修行と同じ事ができるのがヨガなんだ。

なんで不倫小説とヨガ?

さてはて、ヨガ番組を観ながらそんなことを考えて、さて、不倫とはヨガで言えばどんなことなんだろうかと思ったりする。
不倫というテーマが、実は人類の普遍的な課題なんだと思うんだ。その普遍的な人類共通の問題を、ヨーガ(古代インド哲学)で読み解くってのが、今回の作品の源流なんだよね。

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不倫心理小説の合間にネコ小説を書いてる

執筆って、集中力と熱意で書き進める訳なんだけど、まぁ、僕はすぐに他のことがやりたくなる浮気癖があって、不倫小説もちょっと頭が痺れ気味。

そこで、遊び気分で書き始めたのがネコ小説。
ネコとの暮らしをエッセイ風に書き進めているんだ。

ネコ小説が面白いぞ

ネコとの生活を書いているんだけど、我が家には7匹のネコが居て、それぞれが全く違う性格。
ペットは飼い主に似るなんて言うけど、嘘。
ネコはそれぞれ勝手に生きているし、それでも共同生活もあるから、面白いネコ関係が展開されるんだ。

平行して色々書くと気が紛れるね

文字を書くこと自体は、僕の場合は非常に気楽で、ドライブを楽しみみたいな感じ。
目的地に何時何分に到着しなければならないという運転はストレスだけど、なんとなく景色が良い道を楽な速度で走るのは楽しいですよね。 僕の執筆も同じで、書きながらいろいろな事を考えて、それを文字にして行くのが面白いんですな。
ポイントは、文字を書くこと自体は運転みたいな感じで、ほとんど何も考えなくていいということ。
本当は夢を見ながら文字を書けたらいいんだけど、それは今のデバイスでは難しいですね。未来に期待します。
それまではポメラが一番だね。

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執筆に必要な最低限の荷物は?

純粋に執筆活動をするのに必要最低限の道具って何だろうか、と考えているんだ。
もちろん、何を書くかで話は変わるのだけれど、それでも、そういう特定ジャンルに必要な特別な機材は別にして、最終的に執筆するだけに必要な機材を考えたんだ。

文字入力マシン+辞書+資料

最終的に文字にするには、執筆マシンが必要だ。今の世の中、原稿用紙に手書きというのは駄目だ。
ということで、ポメラは必須。

さて、物を書くには、正確を期すための資料が必要だ。そして文字も正しく書くための辞書も必要だ。
ポメラDM200には類語辞典と辞書が搭載されている。でも、正直言って、搭載されている辞書はちょっと語彙数が足りない。別途に辞書類はないと駄目。

次に、資料検索だが、これはスマホで十分だ。
iPhoneであれば、高価な辞書も有料だが搭載可能だ。WEB検索もできるし、執筆状況をブログなどに上げることもできる。

メモと筆記具も必須

さて、デジタル機器としては、上記で必要十分だ。本当はScrivenerなどの執筆アプリも欲しいところだけど、それはそれで余計というか、仕上げの段階で活躍してもらってもいい。

一方、取材や思考実験では、手書きメモが今でも重要だと思っている。そこで筆記具とメモ帳が必要になる。
私は、メモ帳は測量野帳の方眼紙タイプを愛用。
薄くて丈夫、表紙裏表紙が硬い厚紙なので、どこでも、立っていても書ける。
筆記具は、消せるボールペンの4色タイプと、鉛筆を使う。

そして、上記がぴったり余すところなく入る小さな鞄に入れて、これで十分。

どれだけ身軽になれるかが重要だと思う。
身軽で行動しやすく、限られた道具だけで執筆する方が、気が散らないっていう最高のプレゼントがあるんだ。

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カズオ・イシグロの作品について

ノーベル文学賞を受賞しているカズオ・イシグロの作品を2つ読破した。正確には、オーディオブックで全部聞いたんだけどね。

1つは『忘れられた巨人」。
もう1つは『日の名残』。

先が読めない構成の素晴らしさ

どちらの作品も、時がゆっくりと流れて行く。
娯楽作品にありがちな刺激たっぷりの高速テンポって作品じゃない。

まるで、山に降った雨がたくさんのしずくになって、それが小川に、清流に、そして大河になって海に届く。
そんな感じに、細いエピソードがどんどん寄り集まって太くなって、最終の文章まで続く。
そして、どちらの作品もイギリスというものを描いている。
「日の名残」は、ノーベル賞の元になった作品なんだろう。イギリスの名家に雇われる執事の独白なんだけど、まぁ、これでもかというくらいイギリス人とは何かを押してくる。 舞台は1930年代なんだけど、強く現代社会を風刺している感じもすごい。

「忘れられた巨人」は、まぁ、エンターテインメントな感じなんだけど、先が読めないどんでん返しの連続って作品だ。
そして、つねに「なぜ?」が付きまとって、それが、先ほどの「日の名残」と同じように、なぜが寄り集まって、どんどん太くなっていく。 すごい小説って、こういう構成のすごさがあるんだな。

50歳を超えて、やっと文学が面白くなってきた。
今までは、正直言って、例えば太宰治にしても夏目漱石にしても、どうでもいい悩みの羅列で、そんなこと乾布摩擦すりゃ気分も晴れるってもんだ、って感じに思っていた。

カズオ・イシグロにしても、マルキ・ド・サドにしても、悩みとは別次元の人間性がテーマになっていて、それは哲学や宗教に近いんだなぁ。

と54歳のおっさんは、青いことを口にしてみたぞ。

なるほどなぁ、風土と歴史と人間性を織り込むって、こういうことなんだなぁ。

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ポメラDM200とFlashAirは電池食い

ポメラDM200にFlashAirを入れて使っていたんだけど、結局、WiFi経由でデータのやりとりをすることが滅多いないので、ふつうのSDカードに替えたんだ。

バッテリーの持ちが2倍くらいかなぁ

ご存じの通り、DM200はFlashAirをサポートしてない。だから、DM200がSDをアクセスするたびにFlashAirのWiFiが起動する。サポートしていれば、WiFiのオンオフが自分でできるんだけどね。

そんでもって、DM200でFlashAirを使わなくなったら、直感的にはバッテリーの持ちが2倍くらいな気がするんだ。まぁ、そんなに電気を食っていないかもしれないですけどね。 直感的には、このくらい書いたら残量は80%くらいかなぁ、という時に90%くらいって感じです。

DM30はFlashAirサポートなので、こんなことはないはずですけどね。どうかなぁ。
やってみようかな。

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新聞社と作家養成講座を企画中

本を出版したい人向けの講座を企画しているんだ。
僕の本を読んだだけじゃ、物足りない、もっと実践的に学びたいという人がかなりいるので、やろうということです。

塾講師8年、デジタルハリウッド講師

もともと、講師経験は豊富で、今でもたまに講師はやっています。
そのノウハウで、本を書きたい人を完全バックアップする講座を作ります。
出版の出口として、内容とレベルに応じて、格安自費出版、商業出版、電子書籍出版などを用意しています。
有名編集者や新聞記者もゲスト講師に迎えて、レベルアップも充実させたいと思っています。

今、新聞社と打ち合わせが始まるところ。
随時、情報を出します。

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眠りの墜ちる間際のインスピレーション

画家のダリは、眠くなると指先でコインを摘まんでいたといいます。
コインが墜ちたときが眠りに就く瞬間で、その時のインスピレーションで画を描いたんだってさ。

僕も実践しているんだ

僕も、これを知って、布団に入って一呼吸して眠気がやってくる前後のイメージで本を書くことようになったんだ。
だから、執筆はいつも真夜中過ぎの1時~4時くらい。
でも、素早く書かないと、イメージが消えていっちゃう。なので、枕元にはポメラ。
本当は一人暮らしなら、携帯で音声入力する方が良いかもしれない。

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武家の子孫として

私の家系を50歳が過ぎてから徹底的に調べたんだ。
父方は会津藩士で禄は7石二人縁。いわゆる下級武士だが、長屋を与えられて城近くの武家屋敷に住んでいた。明治維新では五稜郭の戦争にも加わり終戦となった。私は、その直系長男である。 その後、札幌で暮らすが、水戸へ流れてくる。その経緯はよく分からないが、明治維新の後に静岡の大名家から奥さんをもらい、そこで長男として生まれたのが祖父である。

一方、母方は長州藩士で、歴史書にも名前が登場する重臣だ。元の家は40石の下級武士だが、幕末の天保の改革の頃に、実務家として頭角を表し、家老に次ぐ実務トップに上り詰める。 明治維新では、保守派のトップであったために反逆者として処刑されている。

皆を思えば殺され、私利私欲の者が生き残る

人間社会も自然の一部であって、弱肉強食だ。悪であって強ければ、それが正義になる。ここで言う正義とは結果的に勝った者を指す。
父方の先祖は、明治維新の後に起こる戊辰戦争で国を追われるだけでなく、本当の名前を言えば会津藩士と分かり殺されてしまうために、名前を隠した。我が家の本当の姓は金澤である。
僕は今、福島のラジオのMCをしていて、そこでは金澤を名乗っている。親戚中が、それを喜んでくれている。そして今、僕は明治維新が如何に悪に染まっていたか、その後の日本を不幸にした出来事だったかを書き始めている。

母方の家も、反逆者と言われて、名前を変えている。というか、子供を他家へ養子に出し、中井という姓を名乗っている。
それだけでなく、つい最近まで、萩(長州)で、本当の名前を出すこと自体が、本当にタブーであった。最近は、どうなのだろう? 菩提寺の住職は、まだ名前を出すな、とおっしゃる。

会津と長州の名を出せぬ両家

会津と長州という宿敵の武家同士の結婚が、我が家である。父も母も、それを気にしたことはない。というか、歴史を本当の意味で知らないのだ。母方の祖父や叔父たちは、恐縮していた。ただ、母方の家は、自分たちが長州の(反逆者とされた)重臣の家柄だと言うことを知らなかった。もしくは、長兄であった叔父だけは知っていたのかも知れないが、誰にも言わなかったのかもしれない。 従兄弟に聞くと、4代前の家長(じいさま)は、何の仕事に就くこともなく、一月の何日かは萩へ行っていたという。それが何故かは、家族は誰も知らなかったというのだ。

そんな名前を出せなかった両家の間に長兄として生まれた私は、非常に浮世離れしていて、事実、食えない物書きを30年もやっている。映像や広告の仕事もしているが、それは食い扶持を稼ぐ手段であって、夢や目的ではない。 物書きも、初めはなんとなく始めた仕事だったが、人生で苦難に遭遇すると、必ずここに戻ってくるし、文字を書かない日はまったくない。 一日に平均すると3000字近くは書いていると思う。

そして、名前を言えない家の末裔として、私は金澤藤馬と名乗っている。金澤は「かねざわ」と読む。鎌倉の北条氏から派生する、金沢文庫を作った金澤家の末裔と思われる。菩提寺は江戸三田の徳玄寺。 今、本名としている渡辺の墓は、なぜか偶然なのだが、三田の荘厳寺で、徳玄寺の隣である。不思議なものだ。
藤馬は「とうま」と読む。これは母方のご先祖様から一字「藤」をもらっている。馬と付けたのは、母方のご先祖様に遠慮し、私は馬程度の存在だということだ。

私の人生は、非常に運が悪い。
なぜ、こんなに苦労するのか。
母方の叔父達は、いつも心配してくれている。
血のなせること、だそうだ。

家系として、やらなければならないことがあり、それが成されていないからだそうだ。

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