インド哲学的な日大評価

【インド哲学的な日大評価】

日大アメフト部のことをインド哲学で考えてみよう。

まず、基本的な考え方として4000年前に生まれた(ビッグバンや量子力学まで予測している)インド哲学で分析されている人間の性質について紹介しますね。

人間の性質について

1:人間(生物)は3つの性質で構成されている。
2:サットヴァ=物事の正邪を見分け、良い方向性へ向かう性質。
3:ラジャス=(他者との戦いで)勝ち抜く方法を見抜く性質。
4:タマス=自らは、善し悪し、勝ち負けを考えず、流れに身を任せてしまう性質。
5:上記の3つは、一人の人間の中に同時に存在して、日々、その割合は変化する。
6:3つの総量は変わらず、どれかが強くなると他が弱くなる。
7:経営に成功したり、戦いに勝つ人間は圧倒的にラジャスが多く、他がほとんど無い。

加害学生について

学生が記者会見を開いた。
彼は、試合当日、異常な精神状態だった(=タマスだけになった)のかもしれません。そして、後日、冷静に考えて、自分の行為はスポーツではなく許されない事だと判断して、自ら選手としての生命を絶つ決断をしたわけです。 これは、彼の心にサットヴァが大きくなり、何が正義かという判断ができたということです。

このように、人間の心は日々変化します。
幸いなことに、この学生は、心の奴隷と言われるタマスだけの状態を脱して、自らが信じる正義を見出してサットヴァが強くなったわけです。

監督とコーチは

もう、お分かりのように、日大の監督もコーチも、何が正義なのかはまったく考えていません。つまり、ラジャスの心に支配されていて、サットヴァの心は皆無だとわかります。 彼らが正義だと思っているのは組織を守ることなのでしょう。しかし、それは自己保身であって、世の中の正義ではないのです。
ところが、サットヴァの心は、世の中全体の正義がまったく分からないのです。
ここがポイントです。
勝つための方法は分かっても、人間として何が必要かは判断できないし、教えられても理解できません。
正義を理解するのはサットヴァの心です。

組織トップがラジャスだと悪の組織になる

スポーツ選手として優秀だったり、経営者として優秀だということは、心がラジャスだということです。過度に勝つことに固執したり、儲けることに固執するのは、ラジャスに支配された人物だということになります。

日大のアメフト指導者たちは、ラジャスだと分かります。ラジャスにとってサットヴァの心を持つことは「負け」を意味します。なぜなら、サットヴァが増えるとラジャス(闘争心や勝つ心)が減るからです。
もっと言えば、ラジャスはサットヴァを嫌うか恐れます。徹底的に攻撃して、サットヴァの心を消し去ろうとします。ラジャスにとって都合が良いのはタマスであり、奴隷のように利用します。

つまり、ラジャスがトップになると、善悪は全く分からず、勝つとか儲かるということだけに邁進します。その結果、途中でどんな悪事が起こったとしても、それは気にもならないし、勝つためには必要なことだとさえ考えてしまいます。

ラジャスは勝者、サットヴァは敗者、タマスは愚者

この世の中を勝ち組と負け組に分ける考え方があります。
この考え方はラジャスです。ラジャスの価値観は、勝つか負けるか、です。彼らにとって正しいことは「勝つこと」であり、間違っていることは「負けることです」。

言っても無駄

ラジャスに、正義を説いても無駄だ、と古代インドでは考えられている。正義を感じる心はサットヴァであり、そのサットヴァを消す努力を続けてきたラジャスには、正義の言葉はまったく届かないのです。

そうしたサットヴァをトップに置く組織は勝ったり儲かったりします。しかし、それは社会にとっては悪になる瞬間が必ず来て、季節が変わるように、必ず滅びます。

サットヴァの心があると、そのことが理解できるでしょう。

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瞑想すれば、スピリチュアルな導き

某Fテレビのドキュメンタリー番組の取材で札幌にいました。
旧友からの突然なオファーで、札幌3日間密着取材です。

ロケ先がご先祖様のお墓の近く?

3日目のロケ先が、北広島の辺りで、渡辺家の本家の墓所がある近辺です。

父方の先祖は、会津藩藩士で、戊辰戦争で土方歳三と共に函館五稜郭へ行き、最後まで戦った武士です。終戦を迎え、名字を金澤から渡辺(妻の姓)に改名し、札幌に移住した。

明治37年に60歳で没して、札幌市の公営霊園に葬られる。それが現在の里塚霊園に引っ越しになり、お墓も里塚霊園になった。

今日の取材先は、北広島の山向こうで、非常に近いですね。
これもご縁だなぁ。

そして、昼時になり、取材先施設のスタッフさんがお弁当を買いに出るというので、僕も一緒に買い出しに。すると、5分ほど走るときれいな霊園の中を通り抜ける。
ちょっと気になったので、我が家の古文書のPDFをスマホで閲覧すると、我がご先祖様は「里塚霊園に埋葬」とある。

そこで、運転してくれている美人スタッフさんに、
「この霊園は、もしかして里塚霊園ですか?」
と訪ねると、
「そうですよ」
とのこと。

あれれ? あれだけ我が一族の陰陽師2号の叔父に「墓を探せ」と言われていたのが、なんと、お弁当を買いに出たら発見!

お弁当を買ってから、帰りに、我が一族のお墓があるはずだと言うと、
「私、毎日、犬の散歩でこの辺を歩いているすよ」
とのこと。
墓の番号を伝えると、美人さんが、それならって、脇道へ回ってくれて、
「第五期1号の500です」
街道沿いは新しいお墓ばかりだったのが、第五期というエリアに入ると、ちょっと空気が違って、歴史的な感じのお墓が並んでいる。

「あ、1号エリア!」

と、すぐに見つけて、ナベちゃんは500番を探しに駆け足。こういう時のナベちゃんは、なぜか全く迷わず、まっすぐに突っ走る。すると、墓所の地図が立っていて、あ、500番はすぐ目の前!
ということで、車を降りて30秒で発見。
すると、とても立派で新しい墓石がどかん!

そう、大叔母が大叔父がなくなった時に墓石を新調して、明治維新からのご先祖の名前が全部刻まれている。なんだ、ちゃんとしているじゃん!
墓標を読むと、当主は「金沢定吉」、以降は渡邉姓でずらり。

金澤家について

金澤家は江戸幕府の旗本で、会津藩が財政立て直しの時に江戸から新しく家老を迎え、その時に一緒に金澤家の次男だか三男が会津藩に来たらしい。なぜなら、我が家の系図を調べると1876年に出所不明の金澤なにがしさんがいきなり武士として召し抱えられている。会津藩は徳川家譜代なので、身元のはっきりしない人間を召し抱えることがない。つまり、金澤姓で江戸から来た(菩提寺が江戸三田の徳玄寺=現存)と記録されていて、江戸にある旗本以上の家柄は、かねさわと読む金澤家1つしかないのだ。

この家は、現在の金沢文庫(神奈川県)を作った家で、つまり北条家が金沢文庫をつくり、姓を金澤としたもの。

さて、墓標を読みますと、道男大叔父の命日が取材日の前日。ほほう、一番仲よかった大叔父、導きましたね! あはは。

瞑想はすべての基本

muse脳波計を使って瞑想すると、自分の心の状態がよくわかります。そして、自分の心をコントロールする技術が掴めます。

心配事があると、心を落ち着かせるのが非常に難しい。そして、コントロールして心を静めたとしても、すぐに心がざわつきます。
また、心を静めるのに姿勢が非常に重要だとわかります。そして、呼吸をコントロールすることが心をコントロールすることであることも分かってきます。

子宮に近付く

生命の始まり、人生の始まりは女性の子宮です。
性の終着点が子宮です。

子宮にアプローチするセックスが重要です。
女性を生き生きさせ、美しくするパワーは子宮にあります。

日本語版の『タントラ入門』を仕上げ中

日本語版の『タントラ入門』を仕上げています。
英語版よりもパワーアップしています。

今月の中頃に出版される予定です。

魂と肉体の関係

古代インドでは、肉体は魂を乗せる入れ物であり、例えるなら肉体は馬車で、意識が御者、そして魂が馬車の主人だと説明しています。

魂は御者である意識をコントロールして、意識が馬を操ります。
しかし、馬は見えるもの聞こえるもの臭う物に気を取られ勝手に走ろうとします。御者である意識がきちんとしていれば道を逸れることはありませんが、意識もまた、主人である魂の望みとは関係なく進みやすい道を選びがちです。
主人である魂が乗る馬車には窓もなく、何も見えません。ただ、御者である意識から景気や状況を教えてもらうだけです。

勝手に走る馬車と勝手な御者

人生が混乱するのは、勝手に走る馬車と身勝手な御者のせいだとインドの賢者は説明します。
魂がしっかりと意識をコントロールし、肉体を動かすことが重要です。
そのための訓練が『瞑想』です。