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MUSEで瞑想中

強烈なラジャスの毒気に当てられたので、久々にMUSEで瞑想してみた。一年ぶりかなぁ。
いやぁ、全然ダメだなぁ。ほとんど瞑想状態にならない。
5分間の簡単な瞑想でも、瞑想状態は数%にしかならない。心が落ち着いた状態(calm)は90%くらいで、脳が活動状態が10%近くもある。全然ダメだ。

やはり、毎日瞑想しないと心がざわつくのかなぁ。それともラジャスにやられたのか。
ちょっと焦りの気持ちも自覚できるし、ざわざわするんだよねぇ。

アドラー心理学の話を先日聞いたんだけど、それも面白かったけど、まぁ、学会の人間関係も大変そうで、それも心をざわつかせているのかもしれない。
いずれにせよ、サンスカーラが蓄積されそうで、とにかく瞑想して、知性の座の混乱を収めないとだめだ。

瞑想を繰り返してみた

三回目の短い瞑想で、やっと半分くらいの時間が瞑想状態になった。やや気分が落ち着いてきたなぁ。毎日瞑想していたときには95%くらいは瞑想状態になっていたので、それに比べると、今はかなりざわついている。

いかんなぁ、とあまり気に病むとサンスカーラが溜まるね。
ざわつく自分を俯瞰して可愛がってやろう。

瞑想の混乱




瞑想(マインドフルネス)が世界中で流行っていますね。
しかし、一言で瞑想と言っても様々な流派があって、しかも、自分でやっていても何が正解なのかも分からないかもしれません。
実際に、ネットを調べると「**瞑想法」というようなものがたくさん出てきます。どれが正しいのでしょうか?
高い会費を支払わなければならない所もあったり、インドの何とか協会の資格を持っているとか、隊で修行してきたとか。

瞑想=仏教ではない

仏陀(シッダールタ、釈迦)がどうやって修行したかは分かっています。あらゆる苦行を経てから、木の下で座って瞑想によって解脱したとされています。

ということは!

仏陀が仏教を開く前から瞑想があって、みんな瞑想をしていたということです。仏陀が瞑想を開発したわけではないのです。
仏陀が仏教を開いたのは紀元前1000年くらい(諸説あり)で、その前のジャイナ教やバラモン教には瞑想が修行方法として存在していたというのが文献に残っているのです。

要するに、歴史をたどれば、瞑想=仏教ではなく、瞑想=「インド周辺の宗教や哲学」(=ヒンドゥー教)の定番の修行法(というか悟るための手法)となります。

どの瞑想法がいいのか、では間違う!

ヨーガスートラやマハーバーラタ(バガヴァッド・ギーター)などのインド哲学の基本となる古典を読むと、瞑想に関しては明確な方法論が書かれている。

1:組織を作ったり、お金を取って教える瞑想方法は間違っている。
2:自分一人で学ぶことは難しく、師(グル)となる者を見つけなければならない。
3:ただし、師がなくとも、時間がかかるが届く(マスターできる)。
4:芸術やスポーツも、やり方によっては瞑想と同じだ。
5:学問を突き詰めるのも瞑想だ。
6:健康や美容のための体操(体操ヨーガ)は瞑想ではない。
7:瞑想によって健康になったり仕事が成功することはない(目的が違う)。
8:睡眠と覚醒の中に瞑想のヒントがある。

1の解説

まず1です。
「組織を作って人を集めることは瞑想ではない」とヨーガスートラには一番初めに書かれています。
「お金を取るのも瞑想ではない」と書かれています。
しかし、例外があって、教える師が生活するに必要なお布施は許されています。つまり、仏教でお坊さんが托鉢をして回りますが、あれは歩きながらの正しい瞑想なのです。人は、自分の体や家族を養うための最低限の経済活動(=仕事)をするべきだとインド哲学では説かれています。それ以上の活動は、実は瞑想を妨げる主な要因なのです。

これは古代インド哲学(=仏教思想)の根本です。瞑想の目的は肉体的な制約から魂を解き放つことにあり、瞑想を通して魂を主役にして肉体に必要なことを脇役にすることです。 仏教用語で言えば、煩悩を捨てる、ということです。
組織を作って人を集めたりお金を集めるのは煩悩そのものです。煩悩のための瞑想など、あり得ないのです。

2の解説

聖典には、「(正しく)瞑想するには師が必要だ」と書かれています。瞑想すること自体が言葉で説明しにくいことであり、自分一人で正しい瞑想を見つけるのが難しいと書かれています。

みなさんも、何が瞑想なのか分からないでしょう。
瞑想とは何かということを解説し始めると、古代インド哲学書(聖典)をそのまま書き写すことになっていまします。そこで、キーワードだけ並べてみます。

・この世は、魂と物質の異なる2つのもので出来ている。
・人間は、魂のまわりに物質が集まって出来ている。
・集まった物質を「肉体」という。
・魂には五感がないので、肉体に備わっている五感を利用して世の中を見聞きしている。
・肉体(五感)は、常に嘘をついて、肉体的に楽なこと楽しいことをさせるように魂を誘導している。
・何が楽しいとか楽とかいうのは、個々の肉体によってまちまちだ。
・例えば食の好き嫌いは、肉体が魂を騙して起こる。本当は美味しい野菜でも、人によっては不味く感じるのは、その人の肉体が魂を騙した結果だ。 ・魂が強い人は、食の好き嫌いがない。なぜなら、肉体に騙されないからだ。
・魂が強い人は、人の好き嫌いがない。なぜなら、肉体に騙されないからだ。
・つまり、好き嫌いは肉体に属することで、魂にはものの好き嫌いがない。
・その肉体の支配から抜け出すことを「解脱」という。

*肉体の支配に気付く方法が「瞑想」だ。
*肉体の支配を弱める方法が「瞑想」だ。
*肉体の支配から抜け出す方法が「瞑想」だ。

ここであらためて、師について考えてみます。
上記のようなことが瞑想であり、瞑想の目的です。
「*」の肉体の支配に気付くためには、自分を客観的に見る姿勢が必要になります。そのためには、自分でない人に見てもらうのが近道です。つまり、師とは、生徒がどのように肉体に支配されて(どれくらい気付いているか)、どのくらい肉体をコントロールできているか(支配を弱められるか)、そして、どのくらい抜け出しているかを判断できる人のことです。 言い換えると、「*」の3つの段階を経験している人です。

1を思い出してみましょう。「*」の3つを習得している人は、瞑想を教えたがるでしょうか。組織(=肉体のあつまり)を作りたがるでしょうか。肉体が欲しがる「お金」に執着するでしょうか。

3~5の解説

上記の瞑想の目的が分かると、おのずと3~6は理解できるはずです。「*」の3つを実現するには、実は師がなくとも達成できます。仏陀は座って35年かかったと言われています。最適な師がいれば、もっと短かったかもしれません。なぜ、師がいなくても大丈夫なのかというと、こう解説されています。つまり、誰の中にも魂があり、それを優先すること自体が瞑想(ヨーガ)なのだから、目的さえ分かっていれば必ず達成できる、つまり条件はそろっている、と書かれています。

芸術もスポーツも瞑想である、と書かれています。ただし、人に褒められるとか、相手に勝つという目的で行う芸術やスポーツは瞑想ではない、と書かれています。もう、この意味は分かりますよね。 では、どういった芸術活動やスポーツがいいのでしょうか? 古代の書物には「ただ、夢中で行うこと」と書かれています。夢中というのがキーワードです。

学問も同じで、名声や地位のための勉強ではなく、ただ夢中で学ぶことが重要だとされています。

6と7の解説

「健康や美容のための体操(体操ヨーガ)は瞑想ではない」
これも当たり前ですね。目的が違えば、行為が同じでも到達するものが違います。

さて、難しいのが7です。
「瞑想によって健康になったり仕事が成功することはない(目的が違う)」
もっと正確に言うと、「~をすれば~になる」ということは約束されていない(決まった未来はない)、とギーターの中で創造神クリシュナが語っています。
そもそも、瞑想の目的は肉体にないので、肉体(や生活)がこうなるという法則には従っていません。難しいですね。ここは神話(ギーター)の言葉をそのまま使えば、人間の行為の結果は、すべて偶然(紙が決める)ものであって、過去に起きたことが未来にも起こることは約束されていない、ということです。

まぁ、インド哲学を勉強するのは、他に任せるとして、いずれにせよ、肉体を主役にした考え方をしているようでは瞑想にはならない、ということです。

8(夢)の解説

さて、最後の8は、夢の中に瞑想のヒントがあるということです。どういうことでしょうか。
実は、夢というのが現在の科学でも十分に解明されておらず、でも、古代インド哲学では非常に研究されています。

夢を見ている時に、これは夢なんだ、と気付く自分がいます。
古代インドでは、この「気付く自分」こそが魂なのだ、と結論づけています。夢は肉体である記憶の座(=脳の記憶する部位)の活動であって、五感と同じく肉体の嘘でできています。夢は過去の記憶や未来の記憶(古代インド哲学では過去も未来も連続している)を肉体が魂に見せている、と考えています。その肉体の仕業(夢)に気付く意識が、肉体ではないものです。

瞑想とは何か

瞑想の中でも、夢を気付くのと同じ体験が出来ます。
瞑想をしていると、ふと考え事に支配されてしまいます。これは夢と同じです。しかし、瞑想中に「しまった、考え事をしてしまった」と気付く自分がいます。これが魂です。
もっと瞑想が上達すると「考え事をしてしまった」という頭の中の言葉ではなく、気付く自分が見い出せます。実は、言葉というのも肉体が作ったものなのです。言葉を使わないということは、肉体を使わない、つまり、魂が主役になるということです。

瞑想とは、自分の中で肉体発の様々な現象(考え事や脚のしびれなど)から、本当の自分(魂)を切り離す手法です。

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猫のゴロゴロと瞑想の関係について




muse脳波計を付けて、猫を膝に乗せて、猫がゴロゴロ、それで瞑想してみました。

猫のゴロゴロで瞑想は深くなる

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猫のゴロゴロ声には癒し効果があると言われてるようです。
ということで、我が家の猫が膝の上でゴロゴロリラックスしているので、museで瞑想状態を計測してみました。

グラフで分かるように、ほぼ全体的にcalm状態が安定して続きます。neutralに一瞬入る(物が落ちた)も、すぐに瞑想に戻れました。
瞑想中は猫の頭をさする動作だけに集中できていて、非常にリラックスしています。

言葉で考えないことが重要だ

古代インド哲学には、言葉による志向の混乱というのがあるとされています。言葉は世の中のことをそのまま表すことができず、無理に言葉で考えようとすることが不安定を生じさせるとのことです。
猫との対話も、言葉よりも心のような気がするのは僕だけでしょうか。犬は人の言葉にストレートに反応しますが、猫は言葉以外のコミュニケーションがあるような気がします。

猫との対話は瞑想だ

猫は言葉を話しませんが、何か心が通じるものがります。犬との関係ともちょっと違った猫との対話は、かなり瞑想に近い気がします。犬と人間の対話は、人間同士に近く、猫と人間の対話は瞑想に近い気がします。

もっと瞑想を深くすることで、猫とのもミュニケーションも深くなるような気がします。




本日の瞑想「恐怖」




体調不良で瞑想しました。顔にひどい蕁麻疹が出て、心が不安定です。

5分間の軽い瞑想で2回の迷い

たった5分の瞑想で、二回も思考に心を奪われ、瞑想状態に戻るのに苦労しました。どの時に恐怖を感じました。




瞑想とは考えないことじゃない




瞑想とは、何も考えないことではありません。
そんなことはできないと、インド哲学でも仏教でも言われています。

瞑想とは、心の中で言葉を使わないこと

全ての間違いは言葉による、とインド哲学では言われています。
言葉は世の中のことを表すにはあまりに不完全だからです。

瞑想は、言葉で物事を考えることをやめる行為です。
瞑想を行うと、途中で考え事をしてしまいます。その時に、自分は考え事をしてしまったと気づくことが重要です。気づいたら、心の中で言葉を使うのをやめます。

それが瞑想です。




museのコツと瞑想の目的




muse脳波計は非常に優れていますね。
よくできているし、研究されています。
達人の瞑想状態の脳波を記録して、そのパターンを抽出。
我々ユーザーがその状態に近づくかどうかを音声でフィードバックしてくれますし、最終的にはその状態をグラフ化してくれるわけです。

museのコツ

museで高得点を上げるのはどうしたらいいでしょうか。言い換えると、深い瞑想に達するにはどうしたらいいでしょうか?

まずmuseを使ってわかることは、瞑想中に考え事をすると得点が下がります。当たり前ですね。でも、実は「考え事」には2種類あることがわかってきますよ、やっているうちにね。
次に、瞑想中に眠ってしまうと、考え事以上に悪い得点になります。つまり、睡眠は瞑想じゃないのです。睡眠状態では、実は非常に脳が活発に活動している(activeになる)という波形が出ます。つまり、すごい勢いで考え事をしているということになります。

museで高得点を上げるには、つまり、深い瞑想に達するにはどうしたらいいでしょうか?
一般的には『無心になる』と言われていますが、ちょっと違います。これは古代インド哲学でも書かれています。心を空にすることはできない、ということです。
さて、難しいですね。

ヒントは、『夢を見ているときに、それが夢だと気づく自分がいる』というインド哲学の言葉です。言い換えましょう。瞑想をしているときに、瞑想している自分を見つめる目、瞑想していることを確認している自分を意識することです。
つまり、考え事をしている自分を発見するもう一人の自分を置くことで、一気に瞑想が深くなります。
museでは、脳の状態を『active(考え中・活発に考えている)』『natural(心が安らかな状態・落ち着いた状態)』『calm(瞑想している)』と分けていて、activeやnaturalからcalmへ移行する技を身につけるように指導されます。特に、一度activeやnaturalへ行ってしまった心をcalmへ自分で引き戻せるようになることが重要だとしています。

心をcalmへ連れて行くには、実は、先ほどの『もう一人の自分』を見つけることにあります。
もう一人の自分(考え事をしてしまったことに気づく自分)が引き出せると、一気にcalmへ移行できます。

瞑想の目的は何か?

さて、瞑想は様々な効果を及ぼすとされています。
仏教では邪念(煩悩)を排除するとされたり、健康になるという人もいたり、はたまた、ビジネスが大成功するとまでいう人がいます。

本当のところはどうでしょうか?

インド哲学の思想で言えば、瞑想で健康になったりお金持ちになったりしません。インド哲学の中の『ヨーガ・スートラ』や『ウパニシャッド』には、そういったことで人を勧誘する者は偽物だ、と書かれています。
瞑想の目的も明確に書かれています。瞑想は、いわゆる神(創造主・涅槃・極楽浄土・楽園など)に近づくための方法で、それはサットヴァに属することだとされています。サットヴァとは、神(善や正義)を恋い焦がれる心、探求する心です。
対してラジャスというものがあります。ラジャスとは、この世の物質的な利益を恋い焦がれる心です。ラジャスを目的に行う瞑想は、心が穏やかになるのではなく、欲につながります。欲は常に人を悩ませ、衝動へ走らせます。優秀な経営者がせっかちなのはラジャスの心が強いからです。
もう1つ、タマスという心があります。これは他に流される心です。タマスの心は何もしようとしない心なので、瞑想しても自分では瞑想に至ることができません。

さて、瞑想を本当に行いたいと思うかどうか、自分の心に問う必要が出てきました。
この世の名声や富を手に入れるために瞑想をするのは、ラジャスであり、なかなか神(善なる幸せ)に届きません。実はラジャスであっても神に届くことがインド哲学では研究されていますが、単なる瞑想では非常に長い時間がかかるとのことです。

もっともいいのは、サットヴァの心を伸ばすことです。つまり、正義やあの世の幸せ、本当の意味ので善を恋い焦がれる、つまり、この世のお金や名声を捨てることで、神の世界を見ることができ、到達することができます。

あなたがラジャスであっても、瞑想によってサットヴァに近づくことができます。しかし、それは富や名声への憧れを捨てることと同じ意味です。仏教では『煩悩を断つ』と言います。
インド哲学では、ラジャスの心を小さくしてサットヴァに入ると言います。同じ意味です。

つまり、どんな人間であっても、正しく瞑想すればサットヴァが強くなり、解脱できるということになります。

間違えてはいけないのは、瞑想で幸せになるのではないということ、お金持ちになれるということではないということ、有名になれるということではないということです。
瞑想はサットヴァの心を強くし、涅槃に到達するということです。

涅槃に到達するとどうなるのか

生きたまま涅槃に到達すると、ブッダのようになります。その意味は、瞑想するとわかってきます。
museで頑張りましょう。




瞑想の目指すもの




瞑想とは何だろと、これまでインド哲学や仏教の高僧による瞑想会んどで勉強してきたことをまとめてみたい。

魂と肉体の分離

1:この世に生まれるということは、魂に肉体が与えられるということ。
2:肉体に魂が宿るのではなく、まず魂があって、そこに物質である肉体が作られるということだ。
3:魂が主役であるということを認識するのが瞑想の役割である。
4:しかし、この世という物質の中では、同族である(物質)の肉体の方が主役になりがちである。
5:それゆえ、瞑想をしていても、すぐに物質世界へ引き戻されてしまう。肉体がそう働くのだ。
6:肉体は、五感を持っている。
7:魂には感覚器官がない。
8:すべての出来事は、肉体を通して魂に認識される。
9:肉体は、それを維持したり守ったりするために認識をねじ曲げて魂に伝えがちである。
10:魂は常に騙されている状態だ。
11:魂が間違ったものの見方に囚われているので、人は思い悩むのだ。
12:そうした肉体の奴隷にならないためには、魂と肉体を分離する必要がある。
13:それが瞑想だ。
14:瞑想は、魂が肉体を支配した状態ともいえる。
15:間違った認識が起こらないように、肉体から来る刺激(五感)を正しく認識する技とも言える。

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