「ヨガ・ヨーガ」カテゴリーアーカイブ

museの瞑想でアトピーを克服

年末から2ヶ月以上、湿疹で悩んでいるんだ。
蕁麻疹として発症して、子供の頃の酷いアトピーが再発してしまった。

痒みで目が覚めてしまうので、連続して2時間以上の睡眠が取りにくい。
そして薬が原因だと思うが、直感的にいうと普段の2倍は疲れてしまう。ちょっと仕事をしてもひどい虚脱感に襲われて横にならないといられない。

museの瞑想をやってみる。

このグラフのように、湿疹が全身に広がっていると深い瞑想が保てない(グラフが低いほど瞑想が深い)。3:20前後に深くなれたが、4:10には完全に覚醒してしまっている(グラフが一番上のエリアに入っている)。ちなみに、湿疹がない時には覚醒することはまずないのだ。

日頃の訓練で、すぐにリカバリー(瞑想状態に戻す)ができているのは幸いだが、肉体に翻弄されている様がよくわかる。

瞑想は痒みさえも克服することができる

一方で、4:10前後の深い瞑想では、肉体の痒みが完全に客観視することができて、痒みを感じていても特にそれがストレスにもならない。それ以外の時間帯でも、この瞑想全体で言えば、一度もかゆいところをを触ることはなく、安定した状態を保っていると言える。

つまり、瞑想していない時には無意識に痒いところを触るか掻くかかしているのだが、瞑想状態では、体が勝手に動くことなく、掻こうとする衝動もない。これは、古代インドの聖典に書かれている『心が体をコントロールしている状態』に近く、瞑想の本来の目的、肉体(物質)に支配されない状態を作る、ということに近づいている。

痒みや痛みの中の瞑想こそが素晴らしい修行

そう思って今回の瞑想を省みると、何もない健康な状態よりも、気が狂うほどの痒みの中にいた方が、本来の瞑想の目的に近づけると思う。

むろん、痒みや痛みの中で修行するべき、瞑想するべき、という意味ではない。肉体を心がコントロールできるようにすることが目的であるからこそ、肉体が何らかの主張をしている(例えば痒み痛み、空腹、興奮状態などの)時に瞑想することが『(浄土に)近く』という意味では、重要な状態だと思うのだ。

神秘主義とエクスタシー(脱我) mysticism & ecstacy

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突然ですが、瞑想やヨガの究極の目標がエクスタシーだということをご存知でしょうか?
どうも、そうらしいので、調べてみました。

wikiによりますと、

『エクスタシー(英: ecstasy)とは、
快感が最高潮に達して無我夢中の状態になること。忘我。
宗教的体験における神秘的な心境。予言、幻想、仮死状態などをともなうことも多い。
脱魂とも。
語源はギリシャ語のέκστασις(ekstasis、エクスタシス、外に立つこと)で、魂がみずからの肉体の外に出て宙をさまよう、といった意味が込められている』

瞑想でエクスタシー!

つまり、瞑想やヨガ(身体動作)の目標は、エクスタシーに達することとなります。
もちろん、ヨガで美しくなる、健康になるという目標を持つことも素晴らしいことですよね。なぜなら、美や健康がエクスタシーを増進する(早く近づく)からですね。

瞑想の役割は何でしょうか?
古代インドの経典『バガヴァッド・ギーター 』の中で創造神クリシュナ(千手観音を想像してください)は、
『瞑想が、一番早く近づくことができる』
と断言しています。
つまり、瞑想でエクスタシーに達するのが一番いいと言っています。
なるほど。

ヨガ(身体動作)はダメなの?

では、ヨガ(身体動作)については何と言っているでしょうか。
実は、非常に酷いこと、辛辣なことを言っています。
『健康体操、美容体操はヨーガ(エクスタシーに達する道)ではない』
ありゃぁぁ、そこまで言わなくてもいいのに。

では、『ヨーガ・スートラ』(ヨーガに関する最古の教典)はどうでしょうか?
『健康体操、美容体操はヨーガ(エクスタシーに達する道)ではない』
ありゃぁぁぁ、同じ事を言っています。

でも、ギーター の中でクリシュナは、後ろの方で、こう言っています。
『無駄ではない。健康体操・美容体操も、いつかは(エクスタシーに)達する』
ああ、良かったですね。

目的はエクスタシーである

クリシュナは、どういう意味で『健康体操、美容体操はヨーガ(エクスタシーに達する道)ではない』と言ったのでしょうか?

瞑想やヨーガの目標は「悟ること」です。つまり、それはエクスタシーの向こう側の世界です。
では、ヨガ(体操)で健康になること、美しくなる事のどこに問題があるのでしょうか?

『美しくなる健康になるための行為は、肉体に対する投資だ。肉体は常に変化し滅びへ向かう。それが心の不安定さを生み出す。するとエクスタシーは遠退く』

ただし、健康体操や美容体操を否定しているわけではありません。健康になりたい、美しくなりたいということのためには、身体動作のヨガ(健康体操や美容体操)は素晴らしいと書かれています。
しかし、こうも書かれています。
『「健康体操・美容体操をすれば、心も浄化される、瞑想ができる」と言う人は偽物だ。そう言う人に限って、組織を作り金儲け(必要以上のお金を稼ぐ)をしようとする。彼の目標はお金であって、他人の幸せ(エクスタシー)ではない。そういう人間に従うのは間違っている』
そんな事を言われても困りますよね。

良き指導者を見極めよ

『悟るため(エクスタシーのため)のヨガ(体操)を実践するのは、瞑想と同じように素晴らしい価値がある。それが本当のヨーガである。ヨーガの結果として健康になる、美しくなるのは褒美であり、副産物である。だが、褒美を目標にしてはいけない』

なるほど、ヨガ(体操)が悪いのではなく、実践する心構えが重要だという事ですね。
でも、実際にはどうしたらいいのでしょうか?

『(エクスタシーを知る)ヨーガを教える者は、相手と自分の区別がない(忘我)。教えた事に対する対価すら欲しがらない。なぜなら、自分と他人が同じになる事がエクスタシーだからだ。だから、貴方は、指導者と貴方が生活に困らないための最小限の布施をすればよい。その関係が、エクスタシーへの最短の道である』

ヨーガの実践には指導者が欠かせないとギーター でもヨーガ・スートラでも語られています。その指導者の見極めは、上記のような態度にあると言えますよね。

逆の言い方をすれば、ヨガ(体操)の指導者こそが、エクスタシーを求める純粋な心が必要だという事であります。

結局、エクスタシーって何?

さて、何度もエクスタシーという言葉が出てきました。でも、一体、どんな事なのでしょうか? もちろん、それを知る事は悟りを開くという事であります。
しかし、古代の書物では、このように表現されています。

『スポーツや戦争で仲間と一体感を得た時、音楽で大勢が1つの心になった時、同じ美しい景色や絵を見た時に皆が同じように感動している時、(タントラでは)男女が合一して1つに溶け合うことを感じている時、それが(一瞬の)エクスタシーである。このエクスタシーを永遠に続けるための行為がヨーガである』

なるほど、考えてみるに、一瞬のエクスタシーを知らなければ、永遠のエクスタシーはわからないということだと思います。だから、ヨガ(体操)でも瞑想でも、一瞬のエクスタシーを大切にして、それを持続するための訓練が必要だという事なんですね。

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今日も、まず3秒瞑想(フラッシュ瞑想)から

一瞬にして瞑想。
3秒間キープ。
それだけで気分スッキリです。
名付けて「フラッシュ瞑想」

すっと心を落ち着けて、さっと目を開ける

目を閉じて、いっぱい鼻から息を吸いながら背筋を伸ばし、ゆっくり口から吐く。そして目をパッと開きます。空っぽになった心に、何かを感じ取りましょう。

これでワンセット。
好きなだけ回数を重ねてもOKです。
電車の中でも、喫茶店でもファミレスでも、どこでもできます。
運気アップ! 気力アップ! 精力アップ! これが古代インド哲学の知恵です。
アーサナ・ヨガ(体操)も効果的ですが、実行するのが大変ですよね。でも、フラッシュ瞑想なら、いつでもどこでも。
あ、アーサナ・ヨガの先生、フラッシュヨガ(3秒間ヨガ)って開発してくれないかなぁ。

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瞑想とタントラについて(3)

いつも長文になっちゃっている金澤藤馬です。
霊能力者の叔父(母方)が、僕の父方の先祖の足跡を辿れというので調べたら、父方は会津藩士で、戊辰戦争の時に北海道五稜郭まで行って最後まで戦い、敗戦時に氏姓を隠し(妻の姓を名乗り)現在に至ります。なので、現在の姓:渡辺は嘘で、本当は金澤(かねさわ)家です。

さて、タントラについて、また、書きます。

タントラ:前回までのまとめ

まず、タントラを学ぶ前段階として、西洋的な価値観をちょっと傍に置かないと正しく見えないというのが第1回でした。
そして、第2回は、Wikiのタントラの説明がちょっとダメで、しかもヒンドゥー教の説明も全然ダメで、そこで古代インドから日本の仏教までを歴史の流れで説明しました。

簡単に言えば、

  1. 紀元前9000年くらいがメソポタミア文明でアーリア人(いまのイラン)がヨーロッパの土台みたいなものを形成していた。
  2. 紀元前2000年くらいには、イランのアーリア人、北インドのアリーア人というようになったというか、インダス文明が衰退して、インドをアーリア人が統治ってことになっているけど。まぁ、これはアーリアン学説といって、トンデモ科学として現在は却下! イギリスがインドを統治した時に、サンスクリット語で書かれたすごい書物がいっぱい出て来て、ヨーロッパ人は、これは俺たちの祖先の言葉だ! って言い張っただけだと、僕は断言。
    その根拠は、ギリシャ哲学とインド哲学が全く違うということ。源流が一緒なんて言い切る根拠がまったくない。
  3. 紀元前1500〜1000年くらいに、古代インド哲学(ヴェーダ、ウパニシャッド)が誕生した。バラモン教も成立も同時期。これもアーリア人の統治と言っているけど、ぜんぜん肌の色が違うぞ。
  4. 紀元前500〜400年くらいに、ブッダがインド哲学を背景にした仏教を作った。つまり、バラモン教が国教になったのち、仏陀が仏教を起こしたという経緯。これも、アーリア人(バラモン)の支配から独立するという筋書きになっているけど、どうなのよ!
  5. (前回説明しなかったけど)、紀元前250年くらいに、インドはアショーカ王の時代で、このアショーカ王が、仏陀が死んだ後の仏教の宗派が乱立していたので、整理させて国教にした。ここで南伝・北伝の仏教の宗派の違いが生まれた。
  6. 紀元後(つまり西暦AC)400年くらいに、バラモン教が庶民も信仰できるヒンドゥー教になった。仏教が強くなりすぎたから。
  7. その頃(AC500)に、カーマスートラ(Kāmasūtra:性の教典)が編纂された。
  8. (これも書かなかったけど)日本の仏教伝来はAC550年くらい。
  9. (これも書かなかったけど)ムハンマドがイスラム教を興したのがAC610年だよ。
  10. AC600年代に、仏教はヒンドゥー教を取り入れて(大乗)密教になった。
  11. AC700年頃に、タントラが確立。
  12. AC800年前後が空海と最澄。
  13. (これも前回は書いていない)同時期にチベットの国が統一され、仏教が国教になる。
  14. AC1000年頃に、インドはセックス仏教(タントラを使う)が大流行。
  15. 実は、キリスト教が今のカトリック(ローマ・カトリック)になったのがAC1000くらい。
  16. AC1247が親鸞が浄土真宗。
  17. インド仏教は密教(ヒンドゥー)化して、AC700〜1200くらいの間にチベットへ移動。
  18. チベット仏教は、タントラを取り入れた特殊な密教となった。
  19. 宗教改革はAC1500年くらい。

という流れを紹介したんだ。
はー、疲れますね。

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muse脳波計、けっこう面白い

脳波計を使って瞑想しています。
まぁ、これが古代インド哲学書にある瞑想と同じ瞑想を引き出しているかは、大いに疑問なのですが、確かに、雑念が多いと悪い値、雑念を押し込むといい値になることは事実です。

muse脳波計の利用ポイント

使い方は非常にシンプルです。頭にセットするのにちょっとコツが必要です。
ウエットティッシュは必須ですね。肌に脂が浮くとダメっす。

使っていて寝落ちしてみた

まず、普通に思考していると、もちろん、脳波計はActiveになります。つまり、脳が考え中だといことです。リラックスするとnatureとなります。
意識的に思考を封じ込めると、前述のようにcalmとなります。

正しく動作しますね。

そして、使いながら寝落ちしてみました。
さあ、値はどうでしょうか?

実は、natureとActiveの間を行き来します。
すごーい。
古代インド哲学でも、眠っている状態は思考が活動している、としてます。
脳波計でもそう出ています。
すごいなぁ、古代インド。

慣れると思考を停止することができる

脳波計でcalmになっているときは、確かに思考を封じています。でも、考えていないかというとそうでもない。やはり、どこかでその状態を見つめる自分がいます。
でも、そのことも古代インド哲学では、全てを見つめる自分がいる、と書かれています。
すごーい。

徐々に使い方に慣れてきまして、思考を封じることができるようになってきました。
ただし、それが正しい瞑想かどうかは、もう少し観察を要します。もし、これが正しい瞑想であれば、何らかの人生の変化が現れるはずです。

楽しみです。

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夢と瞑想の関係

そろそろ寝る時間です。
寝ると夢の世界がやって来ます。
インド哲学では、人生は覚醒時、夢を見ている時、寝ている時の3つの状態があるとされています。夢の世界では、肉体の縛りがないために、心が自由に動けるとされています。しかし、夢の中で急に夢の中で活動している自分を見つめるもう1人の自分がいる事に気づきます。

夢の状態を瞑想で再現

夢の中の自由な世界を瞑想で再現する事ができるとのことです。
そのように夢を自在にコントロールすることが、瞑想の1つの目標だとされています。
子供の頃、楽しい夢を見て、翌日も同じ夢の続きをみようと努力したことはありませんか?

実は、それが瞑想そのものなのです。
瞑想は、頭の中を空っぽにすることだと思い込んでいる人が大勢いますが、頭を空にすることは難しいと古代インド哲学でも解説されています。むろん、そういう状態になることは目指すべきなのですが、実際には様々な思いが溢れるのが心です。

良い心の状態を保てば、それが瞑想だと、古代インド哲学では語られています。

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何もできなくなった時にこそ瞑想

仕事や人間関係で何もできなくなることがあります。
簡単な例では、このブログ。一体何を書いたらいいのか分からなくなることがよくあります。

そんな時には短時間の瞑想を行っています。そう、1分未満の短い瞑想です。

瞑想で不思議とアイデアが生まれる

瞑想を繰り返すと、アイデアが自然に湧き出してくるのを感じることができます。
行き詰まった仕事にも、解決策が見つかったりします。
出会いや幸運を引き寄せられたります。

でも、欲から瞑想するとダメです。2000年前のインド哲学にも同じことが書かれています。

瞑想で魂の浄化って何?

魂を浄化するというのは、よく聞く言葉です。
いったい何のことでしょうか?
インド哲学では、汚れた記憶(サンスカーラ)の蓄積で、間違った判断、人への暴言や怒り、不安などが生じるとされています。
人間は経験を通して記憶が蓄積されます。その記憶を通して物事を見てしまうのが人間です。例えば嫌なことがあれば、次の出来事を見る時に「また嫌なことがあるんじゃないか」と思うのです。これが魂の汚れ、と言われています。

瞑想で記憶を押し留める

刻まれてしまった記憶を消すのは不可能に近いでしょう。しかし、記憶によって汚れてしまった魂をどうしたらいいのでしょうか?
瞑想の目的は、汚れてしまった記憶を客観的に見るということにあるそうです。
記憶と自分を分離して、嫌な思い出は「そういうこともある」と自分と切り分けるのです。

忘れようとすれば思い出す

忘れようとしないことが重要だとウパニシャッドに書かれています。忘れようとすればするほど強く心に刻まれてしまうのです。
どうしたらいいのでしょうか? 無視せよ、と書かれています。
思い出は思い出であって、自分ではないのです。
無視するのです。

瞑想で嫌な記憶が無視されるようになる

そうしたら、無視できるのでしょうか?
瞑想しかない、と書かれています。

By 瞑想LOVE

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瞑想ハイテク・気になります。

自分が瞑想できているかどうか、迷いますよね。
瞑想し、その効果が出ているかどうかを見つめる自分を持つことこそが瞑想そのものなのですが、それでも、指導者がいない場合にはどうしていいかわかりません。

瞑想のハイテクグッズがありました

アマゾンを散歩しているうちに、こんな商品をみつけました。

muse 脳波計 集中力を高める為、ヨガ、瞑想に最適!【並行輸入品】

脳波を測る製品です。
賛否両論がありそうですが、インド哲学的に言えば、集中する方法(ヨーガ)は無限にあり、どれでもいいとされています。物欲はマイナスですが、指導者が身近にいない場合には、このような器具もいいのではないかと思います。

人柱として買ってみようかなぁ。
下にある「⭐︎いいね」が増えたら、買ってみようかなぁ。

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