「インド哲学」カテゴリーアーカイブ

今日も、まず3秒瞑想(フラッシュ瞑想)から

一瞬にして瞑想。
3秒間キープ。
それだけで気分スッキリです。
名付けて「フラッシュ瞑想」

すっと心を落ち着けて、さっと目を開ける

目を閉じて、いっぱい鼻から息を吸いながら背筋を伸ばし、ゆっくり口から吐く。そして目をパッと開きます。空っぽになった心に、何かを感じ取りましょう。

これでワンセット。
好きなだけ回数を重ねてもOKです。
電車の中でも、喫茶店でもファミレスでも、どこでもできます。
運気アップ! 気力アップ! 精力アップ! これが古代インド哲学の知恵です。
アーサナ・ヨガ(体操)も効果的ですが、実行するのが大変ですよね。でも、フラッシュ瞑想なら、いつでもどこでも。
あ、アーサナ・ヨガの先生、フラッシュヨガ(3秒間ヨガ)って開発してくれないかなぁ。

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古代インド哲学とヨーガ

古代インド哲学とヨーガの考え方で幸せに暮らす方法を書籍にしています。
仏教とヨーガに似た考え方がありますよね。
その秘密を紐解きながら、幸せへの道を探ります。

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瞑想とタントラについて(3)

いつも長文になっちゃっている金澤藤馬です。
霊能力者の叔父(母方)が、僕の父方の先祖の足跡を辿れというので調べたら、父方は会津藩士で、戊辰戦争の時に北海道五稜郭まで行って最後まで戦い、敗戦時に氏姓を隠し(妻の姓を名乗り)現在に至ります。なので、現在の姓:渡辺は嘘で、本当は金澤(かねさわ)家です。

さて、タントラについて、また、書きます。

タントラ:前回までのまとめ

まず、タントラを学ぶ前段階として、西洋的な価値観をちょっと傍に置かないと正しく見えないというのが第1回でした。
そして、第2回は、Wikiのタントラの説明がちょっとダメで、しかもヒンドゥー教の説明も全然ダメで、そこで古代インドから日本の仏教までを歴史の流れで説明しました。

簡単に言えば、

  1. 紀元前9000年くらいがメソポタミア文明でアーリア人(いまのイラン)がヨーロッパの土台みたいなものを形成していた。
  2. 紀元前2000年くらいには、イランのアーリア人、北インドのアリーア人というようになったというか、インダス文明が衰退して、インドをアーリア人が統治ってことになっているけど。まぁ、これはアーリアン学説といって、トンデモ科学として現在は却下! イギリスがインドを統治した時に、サンスクリット語で書かれたすごい書物がいっぱい出て来て、ヨーロッパ人は、これは俺たちの祖先の言葉だ! って言い張っただけだと、僕は断言。
    その根拠は、ギリシャ哲学とインド哲学が全く違うということ。源流が一緒なんて言い切る根拠がまったくない。
  3. 紀元前1500〜1000年くらいに、古代インド哲学(ヴェーダ、ウパニシャッド)が誕生した。バラモン教も成立も同時期。これもアーリア人の統治と言っているけど、ぜんぜん肌の色が違うぞ。
  4. 紀元前500〜400年くらいに、ブッダがインド哲学を背景にした仏教を作った。つまり、バラモン教が国教になったのち、仏陀が仏教を起こしたという経緯。これも、アーリア人(バラモン)の支配から独立するという筋書きになっているけど、どうなのよ!
  5. (前回説明しなかったけど)、紀元前250年くらいに、インドはアショーカ王の時代で、このアショーカ王が、仏陀が死んだ後の仏教の宗派が乱立していたので、整理させて国教にした。ここで南伝・北伝の仏教の宗派の違いが生まれた。
  6. 紀元後(つまり西暦AC)400年くらいに、バラモン教が庶民も信仰できるヒンドゥー教になった。仏教が強くなりすぎたから。
  7. その頃(AC500)に、カーマスートラ(Kāmasūtra:性の教典)が編纂された。
  8. (これも書かなかったけど)日本の仏教伝来はAC550年くらい。
  9. (これも書かなかったけど)ムハンマドがイスラム教を興したのがAC610年だよ。
  10. AC600年代に、仏教はヒンドゥー教を取り入れて(大乗)密教になった。
  11. AC700年頃に、タントラが確立。
  12. AC800年前後が空海と最澄。
  13. (これも前回は書いていない)同時期にチベットの国が統一され、仏教が国教になる。
  14. AC1000年頃に、インドはセックス仏教(タントラを使う)が大流行。
  15. 実は、キリスト教が今のカトリック(ローマ・カトリック)になったのがAC1000くらい。
  16. AC1247が親鸞が浄土真宗。
  17. インド仏教は密教(ヒンドゥー)化して、AC700〜1200くらいの間にチベットへ移動。
  18. チベット仏教は、タントラを取り入れた特殊な密教となった。
  19. 宗教改革はAC1500年くらい。

という流れを紹介したんだ。
はー、疲れますね。

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瞑想とタントラについて(2)

タントラという言葉をご存じでしょうか。
Wikiによれば、「ヒンドゥー教シャクティ派の聖典(経典)のシバ神妃の性力(sakti)を崇拝する」と書かれています。
困ったなぁ、これを読むと、カルト宗教みたいですね。

タントラは哲学だ

Wikiで解説されていることは、西洋的な切り口っぽいです。
前回も説明しましたが、西洋的価値観の中で性を論じると、どうも歪んでしまいますね。
むろん、Wikiが完全に間違っているということではないのですが、非常に断片的というか側面的です。どうしてそこをピックアップするか?

僕の解釈になりますが、
シャクティ派は、シバ神妃を崇拝しタントラ哲学を教義に取り入れているヒンドゥー教の一派である、ということです。
つまり、タントラ=ヒンドゥー教の一派、ではないのです。
これ、かなり重要です。

古代インドの基礎が重要だ

空海(日本真言密教の開祖)と親鸞(浄土真宗の開祖)が性を大いに認め推奨していることは有名です。性を否定することはできない、と述べています。これが非常に重要です。つまり、空海も親鸞も、実はタントラを学び、理解していたと思われます。

日本に伝わっている仏教は、時代によって全く違うものになっています。大乗仏教とか小乗仏教というのは西洋的な切り口で、本当は部派仏教というか、上座部仏教とか、チベット仏教(密教)とか、仏陀の教えとそれ以外の思想が融合したものかの違いがあります。
ポイントは、原始仏教(仏陀の教えをメインにしている=スリランカ仏教、タイ仏教など)と、それ以降の仏教(大日如来や観音などを崇める)は、かなり中味が違うということです。

古代インド哲学が重要です

タントラのベースは古代インド哲学(紀元前2500~2000年くらいに成立)です。古代インド哲学が考える宇宙観、つまり、この世界は精神・魂(プルシャ)と物質(プラクリティ)によって構成されていて、精神は万物共通のもので、物質部分(肉体)の性質(サットヴァ、ラジャス、タマス)の差で、人間などの個性が現れるとされています。 これを仏教の言葉にすると、プルシャ(魂)の目指す場所が浄土であり、魂と肉体の切り離しこそが「悟り」ということになります。
仏陀が死んだのが紀元前400~500年くらいとされていますから、古代インド哲学はそれよりも2000年も前に成立しています(中国の易経の元と同時期だと思います)。ちなみに、中国の孔子、ギリシャのソクラテスと仏陀は同時代の人物です。

簡単に言えば、「浄土とか悟り」と称したのが仏教であり、ヒンドゥー教は、同じ思想を、様々な神に願うことで魂をあるべき場所へ向かわせると解釈しています。
そして、仏教の中でも密教は、そのヒンドゥー教の神を仏陀の教えに取り入れたもので、日本では、曼荼羅をベースに大日如来や観音とか菩薩という神様の位という考え方になっています。ヨーロッパの基準に照らすと、実は仏教はヒンドゥー教の一派とされているくらいです。それが近年になって別のものと認識されるようになりました。と言いつつ、別のものと認識されているのはスリランカ仏教・タイ仏教のような仏陀の教えだけを使っている宗派です。日本の仏教はヒンドゥー教の派生に分類されているのです。僕は、この分類は正しいと思います。なぜなら、教えの中味(思想)が、ヒンドゥー教と現在の日本の主流の仏教で差異が少ないからです。

何でもアーリア人は滑稽だ

さて、やっとタントラの話です、と言いたいけど、まだまだ誤解の渦巻き巻き巻きです。

タントラは、古代インド哲学の1つの学派です。成立は紀元後400年~500年くらい、経典成立は700年くらいだと思われます。ただ、この思想自体は、紀元前にさかのぼります。

ここで予備知識として頭に入れておくべきは「カーマ・スートラ」です。この書物は紀元後500年前後に成立です。つまり、古代インドは、様々な哲学が研究されその絶頂期にあり、その中に性の研究がまじめに行われていたということになります。

そして、当時の国教のバラモン教(古代インド宗教:紀元前500年くらいに確立、紀元後400年頃にヒンドゥー教に変わる)も、古代インド哲学をベースに成立しています。

ちょっと余談ですが、Wikiのヒンドゥー教の説明が酷すぎる。まるでアーリア人が作ったみたいな解説になっている。西洋人の発想が加わると、何でもアーリア人が偉いになっちゃうなぁ。ヒットラーみたいだ。
1万年前のチグリス・ユーフラテスの文明発祥はいいとして、そこから派生した人類が、みんな同じ思想みたいになっているけど、まぁ、乱暴極まりない。しかも、善悪二局対立の発想が、全部ゾロアスター教(アーリア人が作った古代宗教)の影響ってことにされちゃう。善悪二局対立なんてのは、人間は母から生まれます、みたいなもので当たり前の思想です。西洋文明から隔絶されている南米文明にも見られるんだから、ゾロアスター教の専売特許なんて言い方は馬鹿げています。

なんでもアーリア人・ゾロアスターのセットで考えるのは如何なものよ。つまり、アーリア人って出てきたら、何でもヨーロッパ至上主義みたいな宣伝文句だと思った方が安全です。

いずれにせよ、バラモン教にしてもヒンドゥー教にしても、ヨーロッパ文明にはない、魂と物質という宇宙の構造をベースに、土着の神様を取り入れているのです。この世界観は独特でありながら、現在の量子力学を預言するような普遍性を持っています。

難しい話は別にしまして、現在の仏教が成立する前に、宇宙の原理(涅槃とか極楽浄土の話)がもともと研究されていて、第二階級のクシャトリアに広まったのが仏教ということです。つまり、中味は仏教オリジナルじゃないのです。

その後に、現在の密教(古代仏教とヒンドゥー教の融合)が生まれて、同時期にはタントラの土台となる性の研究が流行して寺院まで建っていたということです。

仏教もタントラ哲学をベースにしている

やっとタントラに追いついた。以下、わかり易いように、かなり乱暴に書きますね。

仏教の経典にはタントラを取り入れたものがあります。具体的には空海が持ち帰り、公開不可とした理趣経(≒セックス経典)が代表選手です。同時期に唐へ留学して、仏教をちょっと学んで帰ってきた最澄(国費留学)は、この理趣経を中国で教えてもらえませんでした。
実は、理趣経があるために、中国では当時の仏教を排除する動きがあり、中国でも門外不出だったためだと思われます。つまり、ちょっと勉強しただけの国費留学生のエリートさんに、危ない経典は渡せなかったということだと思います。 最高機密の理趣経をもらえすに帰国した最澄は、空海に理趣経を見せて欲しいと頼みますが、空海は断ります。
「お前みたいなガリ勉エリートが読んでも分かんねぇよ」
って言ったと思います。というか、国費留学の最澄に理趣経(≒セックス経典)を見せたら、当時の政府が仏教弾圧に乗り出すかも知れません。中国ではそうでしたから。それじゃ困るから、空海は秘密にしたのだと思います。

セックス経典は、いつの世にも為政者に嫌われます。インドでもセックス仏教が流行ると(セックス寺院がたくさん建つと)、国家が弾圧に乗り出し、セックス仏教はチベットへ逃げて「俺たちチベット仏教だよ~ん」と名前を変えちゃいます。弾圧されたセックス仏教は、戒律を変えます。セックス教義は、ある一定の修行をした人しかやっちゃためだよ、と戒律を作ります。非常に政治的ですよね。だってインドでは道ばたでもセックスすれば涅槃へ行かれる、悟りが開けるとおおっぴらにやっていたのです。チベットへ逃げたら、反省したのか、上の階級の僧侶しかセックス経典は使わせないよ、って言い出したのです。しかも、下々が勝手にやると地獄へ落ちると言っています。でも、元の古代インド哲学には地獄は存在しません。というか、生きているこの世が地獄で、魂がピュアになったら極楽へ行かれる、としています。つまり、チベット仏教の地獄って、さてはて、何処でしょうか? 実は、それはラマ教が融合しちゃって、もう訳が分からない宗教思想が元になります。ちなみに、オウム真理教は、このチベット仏教を100%ピュアに実行する集団だったんですよ。だって、チベット仏教の最高教義は、この世に世界戦争を起こして、世界中を滅ぼし、自分たちの楽園シャンバラ国を作るってことですから。

さてはて、タントラ思想ですが、決してWikiが書いているようなシバ神妃崇拝が中心じゃないです。そういう部派もあるということです。
タントラの中心は、インド哲学の「宇宙の構造」に由来します。そして、心の状態をどうすると、宇宙の構造からみて安定したり、迷いがなくなったり、幸せになれたりするかということです。その方法論に「性」があるということです。 つまり、インド哲学へのアプローチは様々あり、その1つが仏教であり、ヨガであり、瞑想であり、タントラだということです。
宗教というのは、そういう考え方を組織化しただけの器でしかないので、それほど重視する必要はないと思います。

さて、長くなったなぁ。物書きの悪い癖です。
次回は、具体的な方法論にも踏み込もうと思います。

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瞑想とタントラについて(1)

インド哲学には、様々なジャンルがあります。
その中でも、他の哲学にはあまり見られないのが「性に関する考察」です。
ご存じのように西洋では「性はタブー」であり、公で語ってはいけないものになっていますし、今日でもなかなか話題にしにくいジャンルですよね。でも、インド哲学(宗教)は、きちんと考えています。 性の宗教学に関して、数回に分けて書いてみたいと思います。
今回はその第1目として、背景となる基礎知識を紹介します。

まじめに語ります

前述のようにインドや中国(道教)では、性に関する研究はまじめに行われています。逆に言えばエイブラハムの宗教(ユダヤ・キリスト・イスラム)は性に関してかなり慎重で、研究すらしていないと言えます。
非常に乱暴な言い方をすれば、西洋の性に関する考え方は、童貞僧侶によるヒステリックな妄想に近いと思えます。性の話題に関しては耳をふさいで何もしない、という態度なのです。女性の性欲は悪魔の仕業とすら言い出すのですから、困ったものです。 だから、性に関する考察は、西洋文化を参考にしては駄目だと思っています。

性に関しては、おおらかであることがスタンダード

世界中の古代宗教は、性に関しておおらかです。
性器を祭る宗教が世界各地にたくさんあります。

人間の人生において、大地から植物が育ち、それを食べて生きていき事の神秘性(豊穣)と、女性が子供を産む神秘性は、他のどんな出来事よりも神聖なものとして考えるというのは、当然のことだといえます。 それゆえ、性に関することが宗教になるということは自然です。

ただし、政治と性は親和性が悪いようです。性的儀式を国家行事にしている国はありません。
それらを分析すると、性は精神性(宗教の教義)には親和性があるが、組織運営(政治や教会)には嫌がられる側面がある、ということです。

聖書(エイブラハム)の宗教は進化の結果

エイブラハムの宗教(つまり聖書を使う宗教)は、後発の宗教です。ローマ帝国などの覇権国家が広まる時に、地元の宗教を駆逐するか、上手に取り入れることによって、地場の宗教の書き換えをしています。 つまり、古い土着宗教は滅び、新しい(正しい)エイブラハムの宗教が残ったということになっています。

それゆえ、西洋文化というかヨーロッパ文化の中では、古い宗教は駄目で、書き換えた新しい宗教が先進的で素晴らしいと、無意識に考えているようです。ここには進化論も混じっていて、悪いものは滅び良いものが残る、という発想が根強くあります。 つまり、性を根幹にした宗教は駄目だから排除され、性をタブー視する新しい宗教こそが正しい、と思うわけです。

正しい性の宗教学とは

ここまで考えてくると、西洋的な価値観から離れない限り、性に関して冷静に考えることができないことが分かります。
日本人は明治維新以降、いわゆる西洋かぶれで、多くの価値観が西洋風に書き換えられています。
性に関して論じるにも、そこは大きな壁になっています。

そこで、次回は、性に関する歴史的な流れを紹介したいと思います。

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muse脳波計と瞑想

museを使い始めて二日目です。
けっこう、面白いですが、けっこう、疲れる気がします。
数値で出ちゃうと、頑張っちゃうからでしょうか。

考えないで観察する

この脳波計でいい数値が出る条件が分かってきました。
完全に思考を停止すればいいのですが、なかなかそうはいかないですね。
それで、一番楽なのは、周囲の音を聞く、という意識です。
音が何なのかを考えると脳波が上がります。
何も考えずに聞けば、リラックス状態になります。
逆に聞くこともせずに、無に集中すると、それはそれで脳波が上がってしまいます。

瞑想への切り替えの練習になる

このブログでは3秒間のフラッシュ瞑想を紹介しています。
瞬間的な瞑想です。スポーツ選手のルーチンみたいなものですね。
一瞬で集中して、心を落ち着ける技がフラッシュ瞑想です。
その一瞬の瞑想状態への切り替えが、museで観測できます。

museは買い?

瞑想ができているかどうか、それは常に、どのレベルの人にとっても課題です。指導者がいれば分かりますが、自分が正しい瞑想をしているかどうかを判断するには、人生の変化を観察する目が必要になります。でも、それはなかなか難しいです。
そして、このmuseは、心を落ち着かせる、という意味においては有効です。瞑想にいいかどうかについては、もうちょっと実験を繰り返しますので、もうちょっとお時間を下さい。

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muse脳波計、けっこう面白い

脳波計を使って瞑想しています。
まぁ、これが古代インド哲学書にある瞑想と同じ瞑想を引き出しているかは、大いに疑問なのですが、確かに、雑念が多いと悪い値、雑念を押し込むといい値になることは事実です。

muse脳波計の利用ポイント

使い方は非常にシンプルです。頭にセットするのにちょっとコツが必要です。
ウエットティッシュは必須ですね。肌に脂が浮くとダメっす。

使っていて寝落ちしてみた

まず、普通に思考していると、もちろん、脳波計はActiveになります。つまり、脳が考え中だといことです。リラックスするとnatureとなります。
意識的に思考を封じ込めると、前述のようにcalmとなります。

正しく動作しますね。

そして、使いながら寝落ちしてみました。
さあ、値はどうでしょうか?

実は、natureとActiveの間を行き来します。
すごーい。
古代インド哲学でも、眠っている状態は思考が活動している、としてます。
脳波計でもそう出ています。
すごいなぁ、古代インド。

慣れると思考を停止することができる

脳波計でcalmになっているときは、確かに思考を封じています。でも、考えていないかというとそうでもない。やはり、どこかでその状態を見つめる自分がいます。
でも、そのことも古代インド哲学では、全てを見つめる自分がいる、と書かれています。
すごーい。

徐々に使い方に慣れてきまして、思考を封じることができるようになってきました。
ただし、それが正しい瞑想かどうかは、もう少し観察を要します。もし、これが正しい瞑想であれば、何らかの人生の変化が現れるはずです。

楽しみです。

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3秒瞑想の研究(フラッシュ瞑想)

おはようございます。
千葉はいい天気です。
忙しい朝、昼休みに簡単に行う、瞬間的な瞑想はいかがでしょうか。

名付けてフラッシュ瞑想(3秒以内の瞑想)

僧侶の瞑想は数時間から半日も瞑想(坐禅など)を行なっているそうです。
でも、我々はそこまで出来ないですよね。
というより、そもそも、瞑想が続かないじゃないですか。
そこでおすすめなのがフラッシュ瞑想です。

そもそも、私は物書きで、アイデアが詰まった時にやっていたことがあります。
「降りて来い、降りて来い」
背筋を伸ばして、軽く目を閉じ、天に向かって呟きます。「降りて来い」は一息で息を吐き切るまで繰り返します。
この「降りて来い」で、私はいくつも賞を取っています(入選含む)。
仕事がない時にも、「降りて来い」をやると仕事が来ます。
会いたい人がいる時にも「降りて来い」をやると会えます。

つまり「降りて来い」は、万能なおまじないです。

実は、「降りて来い」は瞑想だった

若い時には、創作の神様が降りてくると仲間に説明していたのですが、インド哲学を研究すると、僕がやっていたことは瞑想そのものだと気付きました。

瞑想は、自我を消し、宇宙との一体を認識することだとウパニシャッドに書かれています。我々は人生を経験するほどに悪い記憶が蓄積されます。この記憶(いい事も悪い事も)を通して、我々は色々な判断をします。この判断が「自我(チッタ)」です。子供が純粋に見えるのは、この自我が小さいからです。

自我が小さい時の行動は、宇宙の法則に従います。そこに幸運や引き寄せがやってくるようです。幸運とか引き寄せと言っていますが、本当は、天が与えた運命なんですけどね。

フラッシュ瞑想のやり方は簡単

やり方をおさらします。
背筋を伸ばし、軽く目を閉じます。やや上方を向いて、大きく息を吸います。ただし、ゆっくり吸います。体全体で天のエネルギーを吸い寄せるイメージで、「降りて来い」を息を吐き切るまで繰り返します。その時、声を出しても出さなくても、どちらでも結構です。瞑想は体を心でコントロールするので、体の動き自体には、それほど大きな意味はないからです。

フラッシュ瞑想が上手く行く時の心を把握せよ

「降りて来い」の意味は、僕は作品のアイデアや人脈ですが、何を望んでもいいと思います。
ただし、それが私利私欲(自我)のためだと天は振り向かないようです。逆に言うと、天が振り向く時の気持ちがどういう状態かを手に入れられれば、瞑想ができていると判断できます。
非常に簡単な瞑想なので、まず、心が何を望んでいるかを意識し、そしてフラッシュ瞑想をやってみてください。

フラッシュ瞑想は、幸運を引き寄せることもありますが、瞬間的にストレスを下げ、不安を遠くに追いやることができます。自然との一体感を感じてください。

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夢と瞑想の関係

そろそろ寝る時間です。
寝ると夢の世界がやって来ます。
インド哲学では、人生は覚醒時、夢を見ている時、寝ている時の3つの状態があるとされています。夢の世界では、肉体の縛りがないために、心が自由に動けるとされています。しかし、夢の中で急に夢の中で活動している自分を見つめるもう1人の自分がいる事に気づきます。

夢の状態を瞑想で再現

夢の中の自由な世界を瞑想で再現する事ができるとのことです。
そのように夢を自在にコントロールすることが、瞑想の1つの目標だとされています。
子供の頃、楽しい夢を見て、翌日も同じ夢の続きをみようと努力したことはありませんか?

実は、それが瞑想そのものなのです。
瞑想は、頭の中を空っぽにすることだと思い込んでいる人が大勢いますが、頭を空にすることは難しいと古代インド哲学でも解説されています。むろん、そういう状態になることは目指すべきなのですが、実際には様々な思いが溢れるのが心です。

良い心の状態を保てば、それが瞑想だと、古代インド哲学では語られています。

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何もできなくなった時にこそ瞑想

仕事や人間関係で何もできなくなることがあります。
簡単な例では、このブログ。一体何を書いたらいいのか分からなくなることがよくあります。

そんな時には短時間の瞑想を行っています。そう、1分未満の短い瞑想です。

瞑想で不思議とアイデアが生まれる

瞑想を繰り返すと、アイデアが自然に湧き出してくるのを感じることができます。
行き詰まった仕事にも、解決策が見つかったりします。
出会いや幸運を引き寄せられたります。

でも、欲から瞑想するとダメです。2000年前のインド哲学にも同じことが書かれています。

瞑想で魂の浄化って何?

魂を浄化するというのは、よく聞く言葉です。
いったい何のことでしょうか?
インド哲学では、汚れた記憶(サンスカーラ)の蓄積で、間違った判断、人への暴言や怒り、不安などが生じるとされています。
人間は経験を通して記憶が蓄積されます。その記憶を通して物事を見てしまうのが人間です。例えば嫌なことがあれば、次の出来事を見る時に「また嫌なことがあるんじゃないか」と思うのです。これが魂の汚れ、と言われています。

瞑想で記憶を押し留める

刻まれてしまった記憶を消すのは不可能に近いでしょう。しかし、記憶によって汚れてしまった魂をどうしたらいいのでしょうか?
瞑想の目的は、汚れてしまった記憶を客観的に見るということにあるそうです。
記憶と自分を分離して、嫌な思い出は「そういうこともある」と自分と切り分けるのです。

忘れようとすれば思い出す

忘れようとしないことが重要だとウパニシャッドに書かれています。忘れようとすればするほど強く心に刻まれてしまうのです。
どうしたらいいのでしょうか? 無視せよ、と書かれています。
思い出は思い出であって、自分ではないのです。
無視するのです。

瞑想で嫌な記憶が無視されるようになる

そうしたら、無視できるのでしょうか?
瞑想しかない、と書かれています。

By 瞑想LOVE

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