痴呆症とインド哲学

仏教の開祖であるブッダは、生老病死を見て、いろいろ悟ったわけですが、僕もお袋の痴呆を介護していて、いろいろインド哲学の正しさを実感しています。

諦めることを知らないことは、本当に地獄です。
自分が分からなくなった時の恐怖、失うことの恐怖、やりたい事が出来なくなる恐怖、それが痴呆の怖いところです。
諦めることを知っていれば、その恐怖も小さくなる。祖母は見事に諦めて、安らかな死でした。親父もまた、「諦めたよ」と笑って死んでいきました。

瞑想もまた、死を実感する行為じゃないかと思うのです。
そうした人間の死を見つめることが、インド哲学の本質じゃないかと思うのです。

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