心が揺れて書けません

船橋のIKEAに来ています。打ち合わせです。
沢山の高校生がいます。勉強しているようです。

心が落ち着きません

騒々しいのには慣れていて、いつもはファミレスで執筆をしてます。
しかし、今日は全然筆が進まないのです。

こういう時こそ瞑想するべきなのですが、体調が悪いのか、体がフワフワしています。
脂っこいカツカレーを食べたからかもしれません。
こうこうせい3人組(男2人女1人)が妙にイチャイチャ触り合っているからかもしれません。

体(五感)に支配されている

こういう状態をバガヴァッド・ギーターでもヨーガ・スートラでも「心(意識)が体に支配された状態」といいます。
心が揺れるのは、五感からの情報に心が動かされている状態だそうです。
そのような状態では、正しい判断ができないのです。

ヨーガ・スートラでは、これを馬車と主人という喩えをしています。

馬車のオーナーが意思、御者が心、馬が身体だそうです。
オーナーである意思は、やるべき事が分かっています。僕の話で言えば執筆しなければならない、ということです。
御者は心(意識)です。御者は馬(体)をコントロールして目的地へ向かおうとしますが、心が定まらないと体(馬)がいうことを聞きません。ゴルフを想像して頂くと分かりやすいかもしれません。目の前の池に目を奪われて心が揺れて、ミスショットをするということです。

なぜ池の前でミスショットをしてしまうのかというと、五感からの情報に心が揺れて、正しく体をコントロールすることができない、正しく判断する事ができない、ということです。

意思がコントロールするために瞑想する

瞑想の第一の目的は、五感からの情報に心を乱されないことにあります。
私は、IKEAの食堂で心穏やかではありません。
ですから、短く瞑想したいかと思います。

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