いつも長文になっちゃっている金澤藤馬です。
霊能力者の叔父(母方)が、僕の父方の先祖の足跡を辿れというので調べたら、父方は会津藩士で、戊辰戦争の時に北海道五稜郭まで行って最後まで戦い、敗戦時に氏姓を隠し(妻の姓を名乗り)現在に至ります。なので、現在の姓:渡辺は嘘で、本当は金澤(かねさわ)家です。
さて、タントラについて、また、書きます。
タントラ:前回までのまとめ
まず、タントラを学ぶ前段階として、西洋的な価値観をちょっと傍に置かないと正しく見えないというのが第1回でした。
そして、第2回は、Wikiのタントラの説明がちょっとダメで、しかもヒンドゥー教の説明も全然ダメで、そこで古代インドから日本の仏教までを歴史の流れで説明しました。
簡単に言えば、
- 紀元前9000年くらいがメソポタミア文明でアーリア人(いまのイラン)がヨーロッパの土台みたいなものを形成していた。
- 紀元前2000年くらいには、イランのアーリア人、北インドのアリーア人というようになったというか、インダス文明が衰退して、インドをアーリア人が統治ってことになっているけど。まぁ、これはアーリアン学説といって、トンデモ科学として現在は却下! イギリスがインドを統治した時に、サンスクリット語で書かれたすごい書物がいっぱい出て来て、ヨーロッパ人は、これは俺たちの祖先の言葉だ! って言い張っただけだと、僕は断言。
その根拠は、ギリシャ哲学とインド哲学が全く違うということ。源流が一緒なんて言い切る根拠がまったくない。 - 紀元前1500〜1000年くらいに、古代インド哲学(ヴェーダ、ウパニシャッド)が誕生した。バラモン教も成立も同時期。これもアーリア人の統治と言っているけど、ぜんぜん肌の色が違うぞ。
- 紀元前500〜400年くらいに、ブッダがインド哲学を背景にした仏教を作った。つまり、バラモン教が国教になったのち、仏陀が仏教を起こしたという経緯。これも、アーリア人(バラモン)の支配から独立するという筋書きになっているけど、どうなのよ!
- (前回説明しなかったけど)、紀元前250年くらいに、インドはアショーカ王の時代で、このアショーカ王が、仏陀が死んだ後の仏教の宗派が乱立していたので、整理させて国教にした。ここで南伝・北伝の仏教の宗派の違いが生まれた。
- 紀元後(つまり西暦AC)400年くらいに、バラモン教が庶民も信仰できるヒンドゥー教になった。仏教が強くなりすぎたから。
- その頃(AC500)に、カーマスートラ(Kāmasūtra:性の教典)が編纂された。
- (これも書かなかったけど)日本の仏教伝来はAC550年くらい。
- (これも書かなかったけど)ムハンマドがイスラム教を興したのがAC610年だよ。
- AC600年代に、仏教はヒンドゥー教を取り入れて(大乗)密教になった。
- AC700年頃に、タントラが確立。
- AC800年前後が空海と最澄。
- (これも前回は書いていない)同時期にチベットの国が統一され、仏教が国教になる。
- AC1000年頃に、インドはセックス仏教(タントラを使う)が大流行。
- 実は、キリスト教が今のカトリック(ローマ・カトリック)になったのがAC1000くらい。
- AC1247が親鸞が浄土真宗。
- インド仏教は密教(ヒンドゥー)化して、AC700〜1200くらいの間にチベットへ移動。
- チベット仏教は、タントラを取り入れた特殊な密教となった。
- 宗教改革はAC1500年くらい。
という流れを紹介したんだ。
はー、疲れますね。