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性をテーマにギリシャ哲学とインド哲学を分析する本

哲学の本を書き始めました。キリスト教的(カトリック的)な思想が出る前の人間を人間らしく分析しているのがギリシャ哲学とインド哲学です。同じ人間を深掘りしているので、互いにリンクしていることが多いことに気づいたのですが、一般的な哲学書では、多かれ少なかれキリスト教的なフィルターがかかっていて、純粋な人間研究になっていないようです。

そこで、性(セックス)を中心に据えてこの2つの哲学を定量的に分析することをこころみています。

というのは、カトリック的な性に不理解な思想を排除すると、洋の東西に関係なく、性の話題はブレないのです。生活習慣や宗教観に関係なく、人が生まれることへの物の見方はほぼ一定で、言語を介さずとも同じ価値観を共有することができるのではないかと思うのです。

“Kama Sutra & Tantra” I wonder what title of this book will be.




Now, although it is a book of Tantra and Kama Sutra that I am writing in Japanese and translating into English, I put a lot of CG images of sexual posture.

All posture is made into CG. However, since there are many mistakes in the English version of “Kama Sutra” that I refer to, I translate it back from Sanskrit.
It seems to be finished in a very practical book.

Currently I am worried about what to name the title.

私が日本語で書いて英語に翻訳しているタントラとカーマスートラ の本ですが、私は体位のCG画像をたくさん入れました。すべての体位がCGになります。
しかし、私が参照している英語版の「カーマスートラ」には多くの間違いがあるので、私はそれをサンスクリット語から翻訳ています。非常に実用的な本に仕上がる予定です。
現在、私はタイトルに何を命名するか悩んでいます。




タントラの意味と目的 Tantra means




タントラの意味について解説します。
I try to explain Tantra meaning.

日本語版

タントラは語ります。正しい性の認識は、人間が発展する唯一の方法です。
性とは生命の奇跡のことです。
命は、五感で認識することはできません。
命は、目で見えません、耳で聞こえません、舌で味わえません、触れません、臭いません。
命は、性交によってだけ認識することができます。
命は、性交によってだけ生み出されます。
タントラの目的は、生命を知ることです。

English Version

Tantra says, Right sexual recognition is the only way of human evolution.
The congress is miracle of the life.
It isn’t possible to recognize the life by the five senses.
The life can’t be seen by eyes, be tasted by the tongue, be heard by the ear, be touched by body, been smell by nose.
It’s possible to recognize the life only by the congress.
The life is produced by only the congress.
The purpose of Tantra is to know the life.

An advertisement click will be the research fund of Tantra.
Thank you.




古代インドは平和で安定していた。




インドで、カーマスートラ(Kama Sutra)とタントラ(Tantra)が活用されていた時代は、西暦400年〜西暦1200年(もしくは1000年)です。
同じ時代に、ヨーガ(Yoga)も生まれ発展しました。

男女の性に関しても、タブー視することなく、むしろ、人間関係をより良く発展させるために研究され、さらに、男女の性は宗教的な価値を持っていました。

カトリック教会が発展し、インド性文化が崩壊した

インドで、性が解放されていた時代は600年以上続きます。
それが終焉を迎えたのは、ローマ・カトリック教会が誕生した頃になります。西暦1000年頃です。トルコではセルジューク朝(Büyük Selçuklu Devleti)が西暦1200年くらいに成立します。
ローマとトルコは常に対立し戦争を繰り返していました。
その対立が、インドへも広がる形で、タントラ(Tantra)をベースにした仏教は破壊されてしまいました。

カトリック教会とイスラム教が世界へ広がると共に、タントラは邪教と考えられてしまい、隠されてきました。
しかし、タントラが盛んだった時代は600年以上も続いていました。大きな戦いもなく、平和だったと言えるかもしれません。

だからこそ、タントラの哲学、タントラの価値観、タントラの技法を復活させる必要があると思うのです。

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2000年前の偉大なインド文化を愛する




古代インドの知恵は、本当に素晴らしい。
2000年前に、すでに完成されていた。
きっと今のインドにも、それが受け継がれていると思う。

インドの価値は、西暦1200年から1900年代までは、ヨーロッパの価値観によって否定されてきたが、これからの正解平和にはインドの価値観が必要だと思う。

性に関する考え方は、宗教によって色々な違いがあるのだが、インドの性文化の自由さと素晴らしさを確認した方がいい。

幸いなことに、日本は、インドの哲学から生まれた仏教の国だ。
それゆえ、インドの価値観がよく分かる。性文化に関してもよく分かる。

日本は、世界でも稀に見る性に関して開放的な国だと思う。それはインド文化に影響されているからかもしれない。

インドの性文化の中にいれば、争うことなく、常に幸せを感じる事ができる。




見ることは偏見から始まる。




まず、どこを見ますか?
花ですか?
花弁ですか?
若葉ですか?

しかし、枝も幹も、桜です。
そして地中の根も、桜です。

そして、香りは桜ですか?
食べた時の味は桜ですか?
幹に触れた時、それは桜ですか?
風に揺れる音は桜ですか?

目に見えるもの、そして見てしまうものは、桜の一面でしかありません。
しかも、目は勝手に見る対象を選びます。

意識が目をコントロールしないと、見えないものがあります。
意識が手をコントロールしないと、触れないものがあります。
意識が耳をコントロールしないと、聞こえないものがあります。
意識が舌をコントロールしないと、味わえない風味があります。
意識が鼻をコントロールしないと、嗅げない匂いがあります。

意識を強くしないと、全体はわかりません。
でも、心は桜をすでに確信しています。
確信した心は、どんな桜か見極めようとします。
その時、5つの感覚は、俺は見ていない、聞いていない、触れていない、聞いていない、嗅いでいないとは言ってくれません。

心もまた、勝手に見るものを勝手に選んでいます。
「桜はこんな色」
意識が心をコントロールしないとどうなるでしょうか?

瞑想とは、全てを見るということです。

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タントラの考え方でカーマ・スートラを実行すると喜びの涙が止まりません




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タントラの考え方でヨーガ・スートラを実行するとは?

この世で最も美しく、もっとも心地よく、幸福で、ちょっと怖いけど、ここに居ればもう旅行も贅沢もお金も地位も必要ない、全てが手に入っていると思える場所があります。これを仏教では極楽浄土とか涅槃だとか、キリスト教では神の国などと、いろいろ表現されています。

みなさんはそれを見たことがありますか?

それが見えると、感謝の心に包まれ、喜びの涙が溢れて止まりません。
それは大昔から、多くの人が探し求め、修行を積み、やっと到達できるものだと思われて来ました。ところが、古代インド、つまり西暦400年から1000年過ぎくらいまでのインドでは、誰でもその世界を見ることが出来ていたようです。しかし、西暦1000年頃はローマ・カトリックが成立した時期であり、世界は混乱の中に落ちて行くころ、インドの素晴らしい生活も姿を消すこととなります。

しかし、インドのタントラの知恵は仏教の中に隠され、今日でも生きています。
でも、どうやって見るかという方法は、偏見や誤解の中に埋もれています。

虹の宇宙、真っ白い世界、自分が溶けてゆく

性の正しい認識と技術があれば、素晴らしい世界を見ることができます。その中で生き続けるには仏教やヨガの極致が必要ですが、見て体験することは誰でも可能です。

友人の祈祷師びびこちゃんは、そんな体験が有ると言います。びびこがそこで見た景色と、僕が体験した景色は同じでした。

びびこは祈祷師(占い師)なので、彼(彼女?)の能力を使って、その世界へ入れたのだろうと思います。
一方の僕は、古代インド哲学とカーマスートラの実践の中で、同じものを見ました。

僕もびびこも、虹の波が広がる宇宙が見え、その中に自分が溶け込んでいくイメージです。
また、僕は壮大な銀河が見えることもあります。無限の宇宙が迫って来て、その中に自分が溶け込みます。その中で言葉にできない幸福感と、生命への感謝の気持ち、エネルギー、活力、安らぎなどを得ることができました。

どうやればいいのか? 宇宙と自分の関係を理解する心の準備して、カーマスートラの技術の実践です。

『古代インド哲学』+『カーマスートラの実践』=『タントラ』

ネットにカーマスートラやタントラの情報は沢山あって、それぞれに解釈があり、みんな似たようで違うことを書いています。困りますね。
しかし、歴史をちゃんと調べると分かることがあります。それは、まず、古代インド哲学というのがあり、これには4種類ほどのバリエーションがあります。そのどの流れをくむかで多少の違いがあります。しかし、どれも世界の成り立ち、命とは何か、人生とは何かという考え方です。その古代インド哲学の完成の後にカーマ・スートラが偏差されます。生活の知恵としての「性のマナーと技術」を広大なインド中から集めて編纂したものがカーマ・スートラです。この2つを組み合わせたのがタントラだと思うと理解しやすいはずです。

ところが、ネットなどにあるタントラの情報は常に大切な部分が欠落していて、一体何をして良いのかが分からないのです。例えば「チャクラ」とはタントラの考え方です。もともとセックスの技法を観念的に言葉にしたというべきなのですが、いつの間にか超能力の宿る場所のようなイメージになっています。

どうすれば良いのか。まず、先入観、過去の知識、多くの人が言っていることを忘れて、正しいとか正しくないというどちらかに偏らない心をイメージします。
その中で、インド哲学の基本を学びます。それは簡単です。

  1. 肉体は魂を入れる乗物
  2. 個性の差は、入れ物の違い(男女の差も)
  3. 互いの魂は1つになるのが定め(相手と自分が1つになるのが定め)
  4. 肉体のわがままに惑わされない(好き嫌い、愛して欲しい、認めて欲しいなどは肉体の声)

このくらいを頭に置くことです。でも、愛は魂の問題じゃないの?と思う人が多いでしょう。
その答えは、タントラの実践の中で、後から分かります。

実践無くしては、何も得られないのです。

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性交時の脳波を測ったぞ! 瞑想だ!




muse脳波計をいろいろ使っています。
官能状態(性交中)の脳波も測ってみました。いえいえ、女性の脳波です。

性交中の脳波は完全に瞑想と同じ

素晴らしいですね。
快感の高まりとθ波が一致します。最初はα波の上昇が見られて、性的な上昇に連動してθ派が顕著に上がります。

タントラの中で、女性の恍惚状態が瞑想に一致するという記述があります。今から1500年近く前の記述です。
脳波計のない時代に、瞑想している状態と恍惚状態が同じと分析していたのですからすごいですね。

さらに、研究を進めます。




カーマ・スートラ解説本のネタ本を変更します。




これまでカーマ・スートラの新たな解説本を書くために、バートン版の英語訳の『kama sutra』と、おそらくその日本語訳と思われる大場政史氏の『カーマ・スートラ』をベースにしてきました。
ところが、数多くの誤解や誤訳にぶつかったので、テキストを増やしました。

『完訳 カーマ・スートラ』岩本裕訳・中野美代子解説(平凡社)が優れていた

今更ですが、平凡社の『完訳 カーマ・スートラ』を購入して(再購入かな)、先程、電子化してiPadとiPhoneに入れましたよ。
というか、パラパラ読んだだけでも、かなりの優れた翻訳と解説ですね。
あ〜、僕が解説しなおさなくてもいいかもしれない。と思うくらいによく出来ています。

しかも、この本は、元のサンスクリット語であった詩篇の翻訳も掲載されている。そう、詩篇である事が非常に重要なんです、古代インドの書物は。

バートン版が、とにかく誤解や誤訳が増えてしまう大きな理由は、英語にあります。英語には女性名詞男性名詞の区別がないので、日本語と同様に主語を間違えやすい。というのは、サンスクリット語というのが、日本語の構造にちょっと似ていて、主語が不確定なんです。そこで、女性男性名詞を見分けて、主語を推測します。日本語が敬語を利用するのに似ています。

でも、バートンはたぶん、その能力が足りていなかったんだなぁ。

僕の翻訳と岩本翻訳は99%一致


さて、ここ一週間ほどカーマ・スートラの翻訳に没頭してきましたが、前述のようにバートン版(英語)がベースで、かなり苦労しました。なので「意訳する」という体裁で書き進めてきました。

岩本版と僕の意訳を比べてみるとどうでしょうか。
うんうん、ほとんど一致。よかった!
ただ、岩本版の日本語名称(半球の体位など)は、かなり素晴らしいなぁ。ただし、元のサンスクリット語の固有名詞をカタカナにしている部分などは、日本語で読むと呪文的になってしまっていて、分かりにくい部分もあります。翻訳本なので、これは仕方ないですね。

いずれにせよ、非常に完成度が高い翻訳本です。元はフランス語版のカーマ・スートラだそうです。

僕は、カーマ・スートラを翻訳本ではなく、実用本として使えるように編纂し直します。
また、後続の「タントラ」や「理趣経」「秘密集会タントラ」とも比較しながら、カーマ・スートラから発展した哲学や思想・宗教で新たに発見されたであろうことも織り込みたいと思っています。

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