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突然ですが、瞑想やヨガの究極の目標がエクスタシーだということをご存知でしょうか?
どうも、そうらしいので、調べてみました。
wikiによりますと、
『エクスタシー(英: ecstasy)とは、
快感が最高潮に達して無我夢中の状態になること。忘我。
宗教的体験における神秘的な心境。予言、幻想、仮死状態などをともなうことも多い。
脱魂とも。
語源はギリシャ語のέκστασις(ekstasis、エクスタシス、外に立つこと)で、魂がみずからの肉体の外に出て宙をさまよう、といった意味が込められている』
瞑想でエクスタシー!
つまり、瞑想やヨガ(身体動作)の目標は、エクスタシーに達することとなります。
もちろん、ヨガで美しくなる、健康になるという目標を持つことも素晴らしいことですよね。なぜなら、美や健康がエクスタシーを増進する(早く近づく)からですね。
瞑想の役割は何でしょうか?
古代インドの経典『バガヴァッド・ギーター 』の中で創造神クリシュナ(千手観音を想像してください)は、
『瞑想が、一番早く近づくことができる』
と断言しています。
つまり、瞑想でエクスタシーに達するのが一番いいと言っています。
なるほど。
ヨガ(身体動作)はダメなの?
では、ヨガ(身体動作)については何と言っているでしょうか。
実は、非常に酷いこと、辛辣なことを言っています。
『健康体操、美容体操はヨーガ(エクスタシーに達する道)ではない』
ありゃぁぁ、そこまで言わなくてもいいのに。
では、『ヨーガ・スートラ』(ヨーガに関する最古の教典)はどうでしょうか?
『健康体操、美容体操はヨーガ(エクスタシーに達する道)ではない』
ありゃぁぁぁ、同じ事を言っています。
でも、ギーター の中でクリシュナは、後ろの方で、こう言っています。
『無駄ではない。健康体操・美容体操も、いつかは(エクスタシーに)達する』
ああ、良かったですね。
目的はエクスタシーである
クリシュナは、どういう意味で『健康体操、美容体操はヨーガ(エクスタシーに達する道)ではない』と言ったのでしょうか?
瞑想やヨーガの目標は「悟ること」です。つまり、それはエクスタシーの向こう側の世界です。
では、ヨガ(体操)で健康になること、美しくなる事のどこに問題があるのでしょうか?
『美しくなる健康になるための行為は、肉体に対する投資だ。肉体は常に変化し滅びへ向かう。それが心の不安定さを生み出す。するとエクスタシーは遠退く』
ただし、健康体操や美容体操を否定しているわけではありません。健康になりたい、美しくなりたいということのためには、身体動作のヨガ(健康体操や美容体操)は素晴らしいと書かれています。
しかし、こうも書かれています。
『「健康体操・美容体操をすれば、心も浄化される、瞑想ができる」と言う人は偽物だ。そう言う人に限って、組織を作り金儲け(必要以上のお金を稼ぐ)をしようとする。彼の目標はお金であって、他人の幸せ(エクスタシー)ではない。そういう人間に従うのは間違っている』
そんな事を言われても困りますよね。
良き指導者を見極めよ
『悟るため(エクスタシーのため)のヨガ(体操)を実践するのは、瞑想と同じように素晴らしい価値がある。それが本当のヨーガである。ヨーガの結果として健康になる、美しくなるのは褒美であり、副産物である。だが、褒美を目標にしてはいけない』
なるほど、ヨガ(体操)が悪いのではなく、実践する心構えが重要だという事ですね。
でも、実際にはどうしたらいいのでしょうか?
『(エクスタシーを知る)ヨーガを教える者は、相手と自分の区別がない(忘我)。教えた事に対する対価すら欲しがらない。なぜなら、自分と他人が同じになる事がエクスタシーだからだ。だから、貴方は、指導者と貴方が生活に困らないための最小限の布施をすればよい。その関係が、エクスタシーへの最短の道である』
ヨーガの実践には指導者が欠かせないとギーター でもヨーガ・スートラでも語られています。その指導者の見極めは、上記のような態度にあると言えますよね。
逆の言い方をすれば、ヨガ(体操)の指導者こそが、エクスタシーを求める純粋な心が必要だという事であります。
結局、エクスタシーって何?
さて、何度もエクスタシーという言葉が出てきました。でも、一体、どんな事なのでしょうか? もちろん、それを知る事は悟りを開くという事であります。
しかし、古代の書物では、このように表現されています。
『スポーツや戦争で仲間と一体感を得た時、音楽で大勢が1つの心になった時、同じ美しい景色や絵を見た時に皆が同じように感動している時、(タントラでは)男女が合一して1つに溶け合うことを感じている時、それが(一瞬の)エクスタシーである。このエクスタシーを永遠に続けるための行為がヨーガである』
なるほど、考えてみるに、一瞬のエクスタシーを知らなければ、永遠のエクスタシーはわからないということだと思います。だから、ヨガ(体操)でも瞑想でも、一瞬のエクスタシーを大切にして、それを持続するための訓練が必要だという事なんですね。
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