瞑想とは考えないことじゃない

瞑想とは、何も考えないことではありません。
そんなことはできないと、インド哲学でも仏教でも言われています。

瞑想とは、心の中で言葉を使わないこと

全ての間違いは言葉による、とインド哲学では言われています。
言葉は世の中のことを表すにはあまりに不完全だからです。

瞑想は、言葉で物事を考えることをやめる行為です。
瞑想を行うと、途中で考え事をしてしまいます。その時に、自分は考え事をしてしまったと気づくことが重要です。気づいたら、心の中で言葉を使うのをやめます。

それが瞑想です。

museのコツと瞑想の目的

muse脳波計は非常に優れていますね。
よくできているし、研究されています。
達人の瞑想状態の脳波を記録して、そのパターンを抽出。
我々ユーザーがその状態に近づくかどうかを音声でフィードバックしてくれますし、最終的にはその状態をグラフ化してくれるわけです。

museのコツ

museで高得点を上げるのはどうしたらいいでしょうか。言い換えると、深い瞑想に達するにはどうしたらいいでしょうか?

まずmuseを使ってわかることは、瞑想中に考え事をすると得点が下がります。当たり前ですね。でも、実は「考え事」には2種類あることがわかってきますよ、やっているうちにね。
次に、瞑想中に眠ってしまうと、考え事以上に悪い得点になります。つまり、睡眠は瞑想じゃないのです。睡眠状態では、実は非常に脳が活発に活動している(activeになる)という波形が出ます。つまり、すごい勢いで考え事をしているということになります。

museで高得点を上げるには、つまり、深い瞑想に達するにはどうしたらいいでしょうか?
一般的には『無心になる』と言われていますが、ちょっと違います。これは古代インド哲学でも書かれています。心を空にすることはできない、ということです。
さて、難しいですね。

ヒントは、『夢を見ているときに、それが夢だと気づく自分がいる』というインド哲学の言葉です。言い換えましょう。瞑想をしているときに、瞑想している自分を見つめる目、瞑想していることを確認している自分を意識することです。
つまり、考え事をしている自分を発見するもう一人の自分を置くことで、一気に瞑想が深くなります。
museでは、脳の状態を『active(考え中・活発に考えている)』『natural(心が安らかな状態・落ち着いた状態)』『calm(瞑想している)』と分けていて、activeやnaturalからcalmへ移行する技を身につけるように指導されます。特に、一度activeやnaturalへ行ってしまった心をcalmへ自分で引き戻せるようになることが重要だとしています。

心をcalmへ連れて行くには、実は、先ほどの『もう一人の自分』を見つけることにあります。
もう一人の自分(考え事をしてしまったことに気づく自分)が引き出せると、一気にcalmへ移行できます。

瞑想の目的は何か?

さて、瞑想は様々な効果を及ぼすとされています。
仏教では邪念(煩悩)を排除するとされたり、健康になるという人もいたり、はたまた、ビジネスが大成功するとまでいう人がいます。

本当のところはどうでしょうか?

インド哲学の思想で言えば、瞑想で健康になったりお金持ちになったりしません。インド哲学の中の『ヨーガ・スートラ』や『ウパニシャッド』には、そういったことで人を勧誘する者は偽物だ、と書かれています。
瞑想の目的も明確に書かれています。瞑想は、いわゆる神(創造主・涅槃・極楽浄土・楽園など)に近づくための方法で、それはサットヴァに属することだとされています。サットヴァとは、神(善や正義)を恋い焦がれる心、探求する心です。
対してラジャスというものがあります。ラジャスとは、この世の物質的な利益を恋い焦がれる心です。ラジャスを目的に行う瞑想は、心が穏やかになるのではなく、欲につながります。欲は常に人を悩ませ、衝動へ走らせます。優秀な経営者がせっかちなのはラジャスの心が強いからです。
もう1つ、タマスという心があります。これは他に流される心です。タマスの心は何もしようとしない心なので、瞑想しても自分では瞑想に至ることができません。

さて、瞑想を本当に行いたいと思うかどうか、自分の心に問う必要が出てきました。
この世の名声や富を手に入れるために瞑想をするのは、ラジャスであり、なかなか神(善なる幸せ)に届きません。実はラジャスであっても神に届くことがインド哲学では研究されていますが、単なる瞑想では非常に長い時間がかかるとのことです。

もっともいいのは、サットヴァの心を伸ばすことです。つまり、正義やあの世の幸せ、本当の意味ので善を恋い焦がれる、つまり、この世のお金や名声を捨てることで、神の世界を見ることができ、到達することができます。

あなたがラジャスであっても、瞑想によってサットヴァに近づくことができます。しかし、それは富や名声への憧れを捨てることと同じ意味です。仏教では『煩悩を断つ』と言います。
インド哲学では、ラジャスの心を小さくしてサットヴァに入ると言います。同じ意味です。

つまり、どんな人間であっても、正しく瞑想すればサットヴァが強くなり、解脱できるということになります。

間違えてはいけないのは、瞑想で幸せになるのではないということ、お金持ちになれるということではないということ、有名になれるということではないということです。
瞑想はサットヴァの心を強くし、涅槃に到達するということです。

涅槃に到達するとどうなるのか

生きたまま涅槃に到達すると、ブッダのようになります。その意味は、瞑想するとわかってきます。
museで頑張りましょう。

瞑想で見える直感と第6感の違い

最後は直感で決める、直感が正しい、という人がいます。
でも、そんな言葉が出てくるのは、直感でうまくできたりできなかったりという、過去の記憶から「直感で!」となるのかもしれません。
もしくは、理性では考えられず、できるのは「適当な行動」で、それを「直感」と言っているのかもしれません。

さて、世の中には、第6感というものがあって、これは古代インドでもその存在は明確に肯定されています。宗教によっては「神の啓示」とか「お告げ」と呼ぶこともあるようです。

瞑想で浮かんでくる第6感

ブッダにしても、他の聖者と呼ばれる人、天才と呼ばれた人は、急に何かを思いつき、偉業を成し遂げます。古代インド哲学では、自我(エゴ)を消し去った向こう側に、その「第6感」があるとされています。

瞑想の目的は、まさに第6感に従う準備をすることとされています。
逆の言い方をすれば、瞑想によらない思いつきは「直感」であって、成功するとも失敗するとも言えません。まさにお天気みたいなものです。直感とは、単に過去の経験(前世を含むという人もいます)の残滓(サンスカーラ)なので、むしろ恨みや後悔で作られいるものがほとんどだそうです。

夢中で瞑想を行おう

瞑想と並立する概念が「夢中」です。古代インド哲学では、夢中になることが最も有効な「ヨーガ」だと語られています。夢中になっている状態こそが瞑想だとも言っています。

瞑想とは、どのような状態ですか、と疑問になることがあります。
集中すること、夢中になること、それが瞑想だということです。