まず、どこを見ますか?
花ですか?
花弁ですか?
若葉ですか?
しかし、枝も幹も、桜です。
そして地中の根も、桜です。
そして、香りは桜ですか?
食べた時の味は桜ですか?
幹に触れた時、それは桜ですか?
風に揺れる音は桜ですか?
目に見えるもの、そして見てしまうものは、桜の一面でしかありません。
しかも、目は勝手に見る対象を選びます。
意識が目をコントロールしないと、見えないものがあります。
意識が手をコントロールしないと、触れないものがあります。
意識が耳をコントロールしないと、聞こえないものがあります。
意識が舌をコントロールしないと、味わえない風味があります。
意識が鼻をコントロールしないと、嗅げない匂いがあります。
意識を強くしないと、全体はわかりません。
でも、心は桜をすでに確信しています。
確信した心は、どんな桜か見極めようとします。
その時、5つの感覚は、俺は見ていない、聞いていない、触れていない、聞いていない、嗅いでいないとは言ってくれません。
心もまた、勝手に見るものを勝手に選んでいます。
「桜はこんな色」
意識が心をコントロールしないとどうなるでしょうか?
瞑想とは、全てを見るということです。