某Fテレビのドキュメンタリー番組の取材で札幌にいました。
旧友からの突然なオファーで、札幌3日間密着取材です。
ロケ先がご先祖様のお墓の近く?
3日目のロケ先が、北広島の辺りで、渡辺家の本家の墓所がある近辺です。
父方の先祖は、会津藩藩士で、戊辰戦争で土方歳三と共に函館五稜郭へ行き、最後まで戦った武士です。終戦を迎え、名字を金澤から渡辺(妻の姓)に改名し、札幌に移住した。
明治37年に60歳で没して、札幌市の公営霊園に葬られる。それが現在の里塚霊園に引っ越しになり、お墓も里塚霊園になった。
今日の取材先は、北広島の山向こうで、非常に近いですね。
これもご縁だなぁ。
そして、昼時になり、取材先施設のスタッフさんがお弁当を買いに出るというので、僕も一緒に買い出しに。すると、5分ほど走るときれいな霊園の中を通り抜ける。
ちょっと気になったので、我が家の古文書のPDFをスマホで閲覧すると、我がご先祖様は「里塚霊園に埋葬」とある。
そこで、運転してくれている美人スタッフさんに、
「この霊園は、もしかして里塚霊園ですか?」
と訪ねると、
「そうですよ」
とのこと。
あれれ? あれだけ我が一族の陰陽師2号の叔父に「墓を探せ」と言われていたのが、なんと、お弁当を買いに出たら発見!
お弁当を買ってから、帰りに、我が一族のお墓があるはずだと言うと、
「私、毎日、犬の散歩でこの辺を歩いているすよ」
とのこと。
墓の番号を伝えると、美人さんが、それならって、脇道へ回ってくれて、
「第五期1号の500です」
街道沿いは新しいお墓ばかりだったのが、第五期というエリアに入ると、ちょっと空気が違って、歴史的な感じのお墓が並んでいる。
「あ、1号エリア!」
と、すぐに見つけて、ナベちゃんは500番を探しに駆け足。こういう時のナベちゃんは、なぜか全く迷わず、まっすぐに突っ走る。すると、墓所の地図が立っていて、あ、500番はすぐ目の前!
ということで、車を降りて30秒で発見。
すると、とても立派で新しい墓石がどかん!
そう、大叔母が大叔父がなくなった時に墓石を新調して、明治維新からのご先祖の名前が全部刻まれている。なんだ、ちゃんとしているじゃん!
墓標を読むと、当主は「金沢定吉」、以降は渡邉姓でずらり。
金澤家について
金澤家は江戸幕府の旗本で、会津藩が財政立て直しの時に江戸から新しく家老を迎え、その時に一緒に金澤家の次男だか三男が会津藩に来たらしい。なぜなら、我が家の系図を調べると1876年に出所不明の金澤なにがしさんがいきなり武士として召し抱えられている。会津藩は徳川家譜代なので、身元のはっきりしない人間を召し抱えることがない。つまり、金澤姓で江戸から来た(菩提寺が江戸三田の徳玄寺=現存)と記録されていて、江戸にある旗本以上の家柄は、かねさわと読む金澤家1つしかないのだ。
この家は、現在の金沢文庫(神奈川県)を作った家で、つまり北条家が金沢文庫をつくり、姓を金澤としたもの。
さて、墓標を読みますと、道男大叔父の命日が取材日の前日。ほほう、一番仲よかった大叔父、導きましたね! あはは。