性に関するイメージ

タントラ(Tantra 性宗教)

タントラに関する情報が手に入りにくく、ネットで見つかる情報に間違いが多いので、古代インド哲学からの流れとして正しいであろう事をまとめてみました。
随時加筆修正しますよ。

【第1回執筆 2018/03/23 19:31】

1:Wikiは間違っている

Wikiによれば、タントラは「ヒンドゥー教シャクティ派の聖典(経典)で、シバ神妃の性力(sakti)を崇拝する」と書かれています。

これは逆です。
シバ神妃の性力(sakti)を崇拝するヒンドゥー教シャクティ派(タントラ教)は、タントラ哲学を体現していて、その経典にはタントラに含まれる、ということです。

2:タントラは古代インド哲学の1つで、ヒンドゥー教、仏教(大乗)、チベット仏教、密教(真言宗など)に受け継がれている

インドには、紀元前2000年くらいから高度な精神文化が栄えており、古代インド哲学が形成されています。その古代インド哲学は、万物が魂(プルシャ)を持っているというものです。日本の八百万神も、仏教伝来以降の考え方です。日本の神話では、神が神を生むのであって、神が作った石や水は物質であり、神(魂)があると言わないのです。

タントラは、その古代インド哲学の中で生まれた思想で、物質の中でも生物の不思議さに焦点を当てた哲学と言えます。成立は西暦700年頃とされますが、僕は違うと思います。西暦700年頃というのは、後述の「秘密集会タントラ」の初期バージョンの成立時期です。その秘密集会タントラとタントラ思想の関係は、先ほどのシャクティ派の話と同じです。

3:タントラとタントラ教の違い

タントラという言葉は、2つの流れがあります。1つはタントラ哲学のことで、前述のような流れがあります。こちらが本流ですよ。

一方、【タントラ教】というものがあります。
これは西洋がインド哲学を解釈するに当たり、西洋のタブーである「性」を哲学的・宗教的に扱っているタントラを一種の宗教として捉えて、タントラ教という団体を作りました。つまり、西洋人がタントラを真似ているもので、根本的に宗教観を異にする西洋(主にキリスト教の文化)では、タントラの様式だけ取り入れ、哲学的な理解は進んでいないと、僕には見えます。

つまり、皆さんがタントラという言葉を耳にする場合、哲学なのか、技だけ実践するタントラ教なのかを注意しなければなりません。

余談ですが、Wikiの解説は、
「タントラ哲学=タントラ教」
としているのが間違っています。
本当は
「タントラ哲学⊃タントラ教」(含む)
です。

4:タントラ教は、さらに2種類ある

タントラ教という概念は、実は歴史的な「タントラ教」と、現在、西洋で行われているタントラ教(タントライズム)があります。

歴史的なタントラ教とは、後期インド仏教(西暦1000年頃)の(西洋・イスラムから見て)性に堕落したインド仏教のことを指します。

一方、現代のタントラ教は、前述した西洋で性の解放を主とした宗教的な団体名です。
こちらは、西洋文化の中で「タブー視される性」を西洋人的に解釈しているもので、前述のインド哲学をあまり理解していないように思えます(間違っていたらごめんなさい)。
いずれにせよ、タントラ教とは、表面的なセックスの技を繰り返せば、前述のインド哲学に手が届くという神秘主義的な考え方です。
ただし、今日の日本でも、神秘主義的にタントラを捉えている人がほとんどです。
そのくらい日本も西洋化しています。
ちなみに、神秘主義というのは、理屈はともかくとして、技(体を使ったり呪文を唱えたり)を行えば神の領域に行くことができる、ということ指します。

5:タントラの根本思想とセックス

タントラの根本思想は、古代インド哲学をベースにしています。宇宙(すべての世界)は魂(プルシャ)に物質(プラクリティ)が集まり出来上がったものとされています。だから、全ての動物や自然に魂が宿っていると考えるのです。
そして、中にある魂は皆同じなので、物質の偏りによって人の性格が違ったり、獣になったり、石になったりすると考えられています。我々個々人の性格の違いも、体を構成する物質の偏りが原因だとされます。

さらにインド哲学の基本思想は、宇宙は元々1つであって、創造主クリシュナがばらばらに飛び散り(科学で言うビッグバン)魂になり、そこに物質が集まり世界ができたとされます。つまり、我々の魂は神様の一部分で尊いものだいうことです。

さて、タントラは、神様のビッグバンによってこの世は「極」に分かれてしまっており、その代表が男女、陰陽、善悪というものだとしています。分かりますかね? 世の中にあるものは、自然と両極端に分かれがちだということです。
そしてタントラは、インド哲学における「元が1つの神」という考え方を発展させ、世界は1つに戻るべきと考えます。

そこで、両極に別れ別れになっている男性と女性がセックスで合一することによって、極が解消され神に近づくと考えています。
「性の恍惚の中に宇宙と合一を発見する」
という言葉に、それが象徴されます。

これを仏教的に解釈すると「セックスによって極楽浄土(涅槃)に達する」。つまり、「セックスで解脱」するとなります。
これを西洋文化的に解釈すると「セックスによって神の御許へ行かれる」「幸せになれる」となります。

6:タントラの原文が見当たらない

タントラの原文がなかなか手に入りません。みな、誰かの解釈した物ばかりです。
今、英文のタントラを読み込んでいるので、読破したら僕の考え方は変わる可能性があります。

7:タントラの性技

タントラの原文がまだ読み終わっていないので、具体的な技に関しては、断片的にしか見いだせません。
よく見かける技は以下のものです。

1:女性は無限回数のエクスタシーを目指せ
2:男性は射精を目標にしてはいけない。女性のエクスタシーの中に入れ
3:基本的には挿入したまま、動く必要はない(=瞑想を行う)
4:男性が萎えた時にだけ、動け

これらがタントラ哲学の性技です。これしかありません!

8:タントラの性技の結果・100回以上のエクスタシー

タントラ実践者のレポートでは、1回のセックスで、女性が100回以上のエクスタシーを迎えるのは珍しくないとされます。
自慢に聞こえたらごめんなさい、僕も、100回は当たり前だと思います。

一方の男性は、どんなに体力があっても射精は数回で、その後は不能となります。つまり、男性は性に関して不完全だという証拠でもあります。
しかし、射精を伴わない精神的なエクスタシーというものがタントラで語られます。女性の圧倒的多数の肉体的エクスタシーの傍らに居て、そのエネルギーと同調することができると、(瞑想状態にある)男性には無限の宇宙空間が見えます。

え? 見たことがあるかって?
はい、見ました。だから、タントラについて理解できるし、研究しようとしているのです。

9:タントラは性技が目的ではない

タントラを神秘主義と捉えると、性技を実践するだけの堕落したものになります。
タントラ実践に重要なのは、世の中が二元論ではないということを理解することです。
二元論とは、物事を敵味方・善悪、YesNoで分けることです。二分してしまうことで争いや不安や恐怖がもたらされるとされます。
たとえば、死刑は廃止すべきかということを考える場合、死刑存続も死刑廃止もどちらも正しい、と考えるのがタントラです。答えを出そうとするから混乱するのです。ただし、個別の事件に関しては答えを出す必要があります。たとえば「地下鉄サリン事件の実行犯は死刑になる」というは、もう決まったことです。社会の中でそうすると決まったことなのです。それは運命であり、価値観ではないのです。
しかし、一般的に死刑はどするのかという場合、前述のように、どちらもあり得る、というのがタントラ的な考え方です。つまり、一般的ということすらあり得ないのです。物事は1つ1つに運命があり、仏教的には「輪廻」の中にあります。
つまり、あなたの輪廻と私の輪廻が違うように、あなたの死刑の考えと私の死刑の考えは違うのです。それをどちらか一方の考えが正しい、つまり、どちらかの極に決めるのは駄目だとタントラでは考えます。

しかし、この世は、常に右か左か決めたがり、それを他人にも強要します。これはタントラでは地獄と表現します。二極(どちらか一方)に分ける考えを捨てなければ、苦しみだけが増すのです。

では、二極の考え方を捨てるにはどうしたらいいのでしょうか。
タントラでは、男女の交わりが、それをだれでも体験できる行為だとしています。
男が女を理解し、女が男を理解し、男女の真ん中に心を置くことができるのが性だとしています。その結果、新たな生命が誕生するという奇跡が起こることが、性の崇高さの証拠だとしています。

余談ですが、タントラを表面的に捉えて失敗したのがインド仏教界です。
インドでは、堕落した性技優先のタントラ仏教が蔓延したために、寺院が打ち壊され、インド仏教は壊滅します。僧侶たちはチベットへ逃れてチベット仏教になります。

10:密教の中のタントラ

さて、表面的なタントラの実践を行うセックス教となってしまった後期インド仏教はチベットへ逃げました。そこではチベット密教として発展します。そこではセックス教義がさらに神秘化していきます。
密教とは、ヒンドゥー教の神様を仏教の中に取り入れたものを言います。
日本でも、お釈迦様(大仏含む)以外の神様をお祭りしているのは、ほぼ密教系の仏教です。大日如来とか観音様などは、もともとヒンドゥー教の神様です。

密教は、先ほどから説明しているようにタントラも取り入れています。ですから、日本の仏教の教義にもセックスが含まれており、仏教はキリスト教のように性をタブー視しませんよね。そして空海や親鸞はセックスを推奨しているもの有名な話です。

日本に入ってきた経典に「理趣経」があります。これがタントラです。
ただし、これを最初に日本に持ってきた空海は、門外不出として見せなかったのです。
理趣経自体は、経文で漢文ですし、ちょっと分かりにくいです。

密教の中のタントラのもっとも明解なのが「秘密集会タントラ」です。
これは、仏教の神様(本当は仏陀以外の神様はヒンドゥー教です)が、タントラを実践する話です。

この内容が酷い! インドを追い出されるのは分かります。

タントラと名が付いているのですが、先に紹介した哲学はまったく出てきません。
実は、元はサンスクリット語で、上記のタントラ思想に基づいて書かれていたはずですが、翻訳されたり編纂されたりを繰り返される中で、酷い物になっています。
大まかに言うと、仏教の神様たち(如来や菩薩)全員が集まって「秘密にされてきた真理の集大成」を聞くという物語です。

簡単に説明します。
一番偉い神様が言います。
「これまで様々な修行や経典があったけど、実は全部関係ないんだ。
では、何をしたら良いのか、それはセックスだ。
糞尿や経血、精液にまみれて、乱交するのがいいんだ。
親子でも兄弟でもいい。
人肉も犬肉も使え!
そして、一二歳(一六歳の記述もある)の処女を用意して、セックスするのがもっとも涅槃に近づける方法だ。ロリコンセックス、みんなでやろう」
それを聞いて、他の神様が、ありがたや~と言いながら卒倒します。
「そして、いろいろな呪文があるから、それを唱えながら大陰(宗教的セックス専用の女性)とやるんだ! セックス・セックス! 大陰はまず、偉い者が処女を奪って、弟子はそのお下がりでセックスしろよ」

と、様々なセックス教義のオンパレード。しかしながら、最初の方と最後の方で矛盾する教義が出たりと、まぁ、西暦700年頃に初期の書物ができたとされますが、チベットへ行き、さらに秘密化が進むにつれて本が厚くなり、矛盾点が増えたようです。

11:日本では立川流となり、さらにオウム真理教へ

「秘密集会タントラ」は仏教の経典ですが、あんな内容ですから一般には流布しません。おそらく、それを見つけて実行したのが平安時代にできた真言立川流です。
当時の真言密教のトップになろうという仁寛というエリート僧侶が、理趣経に填まっちゃったんだろうなぁ。秘密集会タントラほど酷くないのですが、人間の髑髏(頭の骨)に精液と経血の塗りたくって真言(呪文)を唱えるって感じの宗教です。当然、セックス教です。

そんでもって、仏教界からは当然のことながら追放されちゃって、秘密に受け継がれた宗教です。江戸時代まで存在したみたいですよ。

そして、チベット仏教の教えをほぼ100%継いでいるのがオウム真理教です。チベット仏教はインド仏教を継承していますが、チベットの土着宗教のラマ教と融合しています。
ラマ教の教義は、世界戦争を起こし全ての国を滅ぼして世界を征服するというものです。
だから、オウム真理教は兵器を作り地下鉄サリン事件を実行したのです。世界戦争のスタートだったのです。

オウム真理教がチベット仏教を継いでいるというのは、実はダライ・ラマが麻原彰晃に灌頂したからです。灌頂とは真言密教で僧侶に最高の位を与えることを言います。
ダライ・ラマは灌頂を否定していますが、ダライ・ラマの傍らに跪いていてニコニコしている麻原彰晃の写真がありますよね。単に会ったという感じじゃないと僕は思うし、信者たちは灌頂されたと思っているはずです。
つまり、オウム真理教はチベット仏教によって公認された宗教団体で、チベット仏教に成り代わって世界征服を企てたのです。もちろん、ダライ・ラマが指示したとは言いませんけどね。

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