タントラ思想の根本は、古代インド哲学の『魂(心)が体(身体)に支配されている』という考え方に立っています。これは仏教にもヒンズー教にも共通する概念です。体の支配を脱した時を『解脱』『涅槃の境地』などとしています。
魂には感覚器がないので、物質である身体のセンサー(五感)を通して世の中を把握します。しかし、肉体はそれ自身が意思を持っているので、楽を求めたり気分次第で見えるもの聞こえるものへの感じ方が変わっていきます。例えば人参が嫌いな人にとっては『人参の味は不味い』と感じ、人参が好きな人は『人参の味は美味しい』と感じます。しかし、物質としての人参は同じもので、感覚も全く同じ味を感じています。しかし、それが心(魂)に届く時に『不味い』『美味しい』と変化してしまいます。この変化は、五感と心の間で生じています。インド哲学では過去の記憶と感覚が混じり合うところ(=現代風には脳)で差異が生じるとしています。その差異が生じる場所も、物質である肉体の一部分だとされています。
つまり、物事をどう感じて理解判断するかは、実は肉体が大きく作用するのです。
その肉体の作用(過去の記憶などで感じ方が変化してしまうこと)を避けるために瞑想によって、心と体の分離を体験しつつ、心が体をコントロールできるようにするのです。この考え方は、現代の科学でも語られていることに合致することが多いのに驚かされます。
しかし、こう書かれても、多くの人が、心と体の分離なんて体験しないと分からないというでしょう。まるで幽体離脱のようなオカルトですものね。
muse脳波計が見せてくれる世界には何があるのか?
さて、講釈はこのくらいにして、現代社会でも古代のインドの賢者が気付いたような、心と肉体が別のもであるという体験をするにはどうしたらいいのでしょうか?
muse脳波計は、長年修行を繰り返して正しい瞑想を習得した人の脳の状態と、我々の脳の状態を比べて、様々な指針を提供してくれます。
さて、タントラには『性』に関する考え方が多く含まれています。
性行為が肉体と心の切り離しに有効だと考えられているからです。
(タントラ的に)正しい性行為は、肉体の支配から心を解放してくれるとされています。
その時の状態をmuseで計測すると、まさに瞑想状態だと言えます。つまり、瞑想の訓練を繰り返すよりも正しい性行為をした方が簡単に瞑想状態になれるということです。